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plagmaticjam.hatenablog.com
すこしニッチな話なのだけどすこし前に格闘ゲーム界隈で騒ぎがあった。 簡単に経緯を説明すると、eスポーツチームのREJECTが主催するハイタニ登竜門という若手発掘企画のトーナメントに出場していた21才の大学生が自身の配信上でプロ選手への暴言と受け取られる発言をしたことで炎上、トーナメントの出場を辞退する運びとなった。 具体的にはSFL(ストリートファイターリーグ)に出場していたものの成績が振るわなかった選手にたいし「弱い」「コネで出場している」などの発言をしたことで炎上、他選手へのリスペクトに欠く振る舞いであるとしてベスト8まで進んでいたトーナメントを辞退し、繰り上がりで他の選手が出場することになった。 ハイタニ登竜門の出場規約に他の選手へのリスペクトを持つことという文言があるため、出場を辞退する運びとなったのは当然ではあるのだろう。また、そのまま出場していた場合には試合内容よりも炎上した選
こんにちは ここ1年ぐらい物価が上がりすぎなのだがみんなどうしてるのだろうか。給料も上がりはしたけれど物価の上昇率に全然追いついていない。やたら物が高く感じるので洋服などほとんど買わなくなってしまった。ちょっと前に国民負担率が話題になって以降も社会保険料が下がるわけではなく単に物価が上がっているので買えるものが少なくなっている。 実際にエンゲル係数が44年ぶりの高水準になっているらしく生活がきつくなっているのだがどうもあまり騒ぎになっていない。まだデフレだった時のほうがマシだったのではないかと思うほどだ。一般的な経済学の理論ではインフレになると貨幣の価値が下がるので下がる前にお金を使おうというインセンティブが働き、消費が促進されて経済の好循環を生むと説明されるのだが、全然そんなことは起きていない。単に買えるものが少なくなった僕みたいな人か、給与の上昇分をNISAに突っ込む人の二極化していて
選挙の総括をいろいろ読んでいるのだけど主だった論点は大衆批判だった。具体的に言えば「リベラルは正しいことを言っているけど国民から支持されない」というものだ。ひどいものになるとこの文章の後に「なぜなら国民は馬鹿だからだ」と付け加えられる。 リベラルが正しいかどうかはさておき大衆批判は社会評論の伝統芸みたいなもので近年だとトランプ大統領が初当選した時に反知性主義やポスト・トゥルースが話題だった。直近だとノンポリや中道のような非政治的大衆にたいして現状追認しているに過ぎないとしてエキストリームセンターという言葉で批判されている。オルテガの大衆の反逆では自らが他人と同じであることに安心感を得たり凡俗であることに誇りを持つ大衆を指して「平均人」と書かれていた。広義で言えばアーレントの悪の凡庸さも無思考の人を批判している点では大衆批判ととれるかもしれない。また、西部邁は虚無の構造で大衆に蔓延するニヒリ
選挙が終わった。自民が単独で3分の2以上取ったということで個人的には最悪の結果になったと思っている。 plagmaticjam.hatenablog.com 自民党の歴史的大勝と中道の壊滅的敗北となったことにたいしてこれからいろいろな分析がなされると思うのでそれを読むのが楽しみということぐらいしか良いことがない選挙だった。 前回記事の補足的な話になってしまうけれど、今回の選挙で感じたことはなんでみんな「どの党が良いか」で投票するのかということだ。 選挙になると各党が政策集を出すのでそれを参照して投票先を決めましょうとよく言われる。いわゆるボートマッチを使いながら最も自分の考えに近い政党に投票するのはかなり一般的な投票行動である。こうした投票の仕方はみな自分の生活があって時間がない中で投票先を決めるにはとても有用だと思う。いつもなら僕も選挙になると政策を見て投票先を決めていた。しかしながら前
共同体は地獄だという記事を読んだ。 note.com 隣近所との関係が良好でなければ醤油を貸してもらえない社会は地獄であり共助ではなく公助のほうが弱者には本当の意味で優しいシステムであるというのは頷くしかないのだけど共同体ってそういう話だったっけと思わなくもなかった。 というのも社会の互助関係の構造として国家が担う役割は共同体から洩れた個人を助けることであって公助(国家による救済)は共助と衝突するものではないのでは・・・ 個人が個人を救う、次に共同体が個人を救う、最後に国家が救うという順番の話であって共助より公助のほうが優れているというのはミスリードに思えてしまう。自助と共助と公助のどれもが充実していることが理想でありどれが優れているかという話は議題としては面白くても現実的に意味がある議論とはあまり思えないのだ。 精神疾患になった時に保険適用の薬によって助かることもあるし、心配して連絡して
あけましておめでとうございますと言うには遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もつらつらと書いていきたいと思います。 正直言うとなにか歳をとってきたせいか社会評論のようなものを書くモチベーションがすこしずつ落ちてきている感覚があります。最近は暇があれば散歩やゲームをしたり七輪で魚焼いてビール飲んで昼間から寝ていたり猫みたいな生活をしています。すこし前であればてきとうに本読んでネットを眺めたりして書きたいことが見つかればブログを書いていたのですが、猫のような生活をしているとやはりというかなんというかものを考えなくなりますね。 とはいえ正月からトランプがベネズエラの大統領を拘束、イラン情勢が悪化したり国内も右傾化し始めて物価上昇は収まらず生活は厳しくなっている実感があるのでいまこそ批評が必要な時代になっている感覚もあります。批評が必要といっても今の時代に必要な「批評」とはなんな
2025年が政治的にどのような年だったか振り返ると世界中で進行していた右傾化が日本にもやってきた年だと言える。 トランプ現象やBrexitなどが報じられていた頃、日本では安倍長期政権が続いていて様々な問題はあったにせよ政治的には安定していた時期だった。安倍晋三なき後はかつてのような首相が一年ごとに交替する旧自民政権に戻り、さらには公明党が連立を抜けるなど混乱が続くようになった。その混乱に乗ずるかのように右傾化の波が日本にもやってきて今年の参政党の躍進や高市総理の就任につながっているというのがおおよその見方であろうか。 この右傾化に関してだが、理由としてしばしば挙げられるのがリベラルへのバックラッシュであるというものだ。リベラルはとにかく駄目だとそこかしこで言われることがあり、僕もそのように書いたことがあるのだが、思い返してみるとリベラルが駄目だというのはどこからやってきたものなのかよくわか
ジョセフ・ヒースの分析が面白かった。 econ101.jp まとめると ・敵は移民ではなく大富豪であるという左派の呼びかけは他人事すぎて響かない ・大衆の直感に訴えることがポピュリズムの定義である ・大衆の直感は多くの場合、間違っている ・食料品や医療の価格が高騰している原因はサプライチェーンの上流にあるが大衆は目の前の価格を下げるよう求める ・実際に無理やり価格を下げると供給元が破綻する ・左派ポピュリズムと現実的であることは両立が難しい 大衆のひとりとしてかなり納得感のある記事だった。 世界がある種の複雑性に閉ざされているというのはかなり昔から感じていて、専門領域の分化であったりグローバリゼーションなど現実社会もとい資本主義がどんどん効率的になり拡大していく中で人間ひとりが把握しうることなんてほとんどなにもないのではないかという諦観は思い返せばずいぶん昔から感じていることのように思う。
※すこしだけ長文です 近頃「何が悪い」という言葉を目にするようになった。 典型的なのが「日本人が日本を愛して何が悪い」である。右翼の定型句なのだが短文でやりとりするSNSにおけるキラーワードになっている。 何が悪いかというと愛と憎しみは愛憎という言葉が示すように表裏一体なので政治に用いるのは適切ではなく予後が悪いのであるが、そういう裏表の機微みたいな話は響かなくなってきている。他にも愛という感情を政治システムに組み込むとインスタントな感情によって政治が左右され民主主義が「逸る」ことになり、逸った民主主義は政治的決断の速度を加速させるために強烈なリーダーを求め独裁に至る可能性が高くなるという理由もある。いずれにせよ愛国心は万能ではない。場合によっては劇薬になる可能性がある。だから保守というのであれば自国への愛だけでなく愚かさも含めた歴史に立脚しなければならないというのが一般的な保守思想であろ
最近、スラヴォイ・ジジェクの短編集『分断された天』を読んでいるのだけれど、反ユダヤ主義に関する論考を読んでいて高市総理が言っていた「日本を取り戻す」と接続したのでそのあたりをすこし書いていきたい。 ジジェクは議論の題材としてイギリス敎育省が「資本主義を終わらせる願望を持つ組織から発刊された出版物は教材として使用しないと発布したこと」をあげる。 イギリス敎育省がそのような決断をした理由として反資本主義は反ユダヤ主義だからだというのだ。驚くべきことだが、ジジェクが当該文章を書いた当時のイギリスではユダヤ金融資本が資本主義と結びつけられ、資本主義に反対することは反ユダヤ主義、つまりはユダヤ人差別にあたるというのである。ゆえに差別を助長しないために反資本主義的願望を持つ組織から発刊されたものは子どもたちに配る教材として差別を内包するという観点から「有害」であるとの判断が為された。 反資本主義として
昔の記事にブクマがついていた plagmaticjam.hatenablog.com メリトクラシーの結果としての推し、そして弱者男性論 - メロンダウト 去年の記事だけどブクマ。選別の手法を洗練し誤選別率を極限まで下げた結果「経済力」「コミュ力」「人品骨柄」「思想信条」「趣味嗜好」は全部比例するようになったことを前提に置かないと現代の構造が見えない 2025/10/03 13:13 b.hatena.ne.jp 能力が社会的地位や経済力と結び付きすぎると能力のない人間もとい収入が低い人間は安かろう悪かろうという具合に、人に対する視座が単眼的になることにメリトクラシーの問題がある (中略) メリトクラシーにより能力や収入が「実際に」その人の人格を言い当ててしまう確率が高まれば高まるほど人を判断する時の視座はより単純で貧しいものになっていく。何故ならば、メリトクラシーが蔓延し、能力の多寡によ
ここ2週間ほどずっと三体を読んでいた。二年前に一部の上巻までは読んでいたのだが続きが積本になっていたところちょうど昨日読み終わりました。通勤中も三体、休憩中も三体、休日も三体、寝る前に三体、車の中で三体。とにかくずっと読んでいてやっと読み終わったので感想を書いていきたい。 本来は書評と書くべきなのだろうけどあまりに面白く壮大なSF巨編であるため「評する」のは気後れするためあくまで感想というテイをとらせてもらいたい。 ※以下ネタバレあり 物語の展開の仕方、採用される理論のリアリティー、キャラクターの魅力など見どころがたくさんある三体なのだがなによりもこの作品を唯一無二にしているのは二部『黒暗森林』に登場する「暗黒森林理論」だ。 物語の冒頭、中国の文革時代を生きるひとりの女性(イエ・ウェンジェ)が宇宙に向けて地球の存在を知らせるところから話は始まる。そのメッセージを受け取った三体と呼ばれる別の
先の参政党の躍進においてナショナリズムが話題となった。なぜ今、保守ではなくナショナリズムなのか。それをすこし書いていきたい。 保守主義を象徴する言葉としてよく引用されるのが福田恆存の「保守主義は横丁の蕎麦屋を守ること」という言葉である。 人々が息づく場所、そこで生まれる文化慣習、その営みが最終的に国家を支えているという意味と解釈できるが、これは経験としてもよくわかるように思う。 僕が小さい頃にはまだ駄菓子屋なんかもあって小さい頃にはよく小銭を握りしめてどの駄菓子を買おうか子どもながらに腐心していた記憶がある。小学校の同級生には団子屋の息子がいて帰り道に彼の家に寄ると「おばちゃん(私の母)には内緒だよ」とお団子を頂いたりした。 今ではあまり見なくなった文房具屋もあった。その文豪具屋は制服の卸しもやっていたので文房具の購入はもちろん上履きやジャージを購入する時もお世話になっていた。また、その文
はてなブックマークを眺めていたらまたぞろ差別についての議論が盛り上がっていた。 「女性専用車両は男性差別にあたるのか」「差別する人を差別することは差別なのか」などが定期的に話題になる。永遠と同じ話題を見続けているけれど新規で入ってくる人がいるのでしょうがないことなのかもしれない。 僕も長いこと差別に関する話題を見てきたけれど差別に関してひとつだけ見過ごされていることがあると思うのでそれを書いていきたい。 差別というと広義すぎる話であり、必要があれば具体的な話に落とし込んでリスクリターンを計算しつつ女性専用車両のような対策を実装するのがおそらくは正しい議論の仕方である。困っている人がいれば話を聞き、公共性や対立する権利との兼ね合いを見ながら慎重に対処していくしかない。なのでこれから書く話はややもすると意味のない話である。 差別に関する議論を見ていると僕は差別と言った瞬間に失われるものがあると
20年後には労働人口が1000万人減るというニュースを見たのでひさしぶりに少子化についてなにか書いてみようと思う。 1000万人というと規模的には現在の関西圏で働いている人すべてが消えるという。 原因はもちろん少子化である。少子化の原因は若者の経済的困窮、地縁血縁の希薄化、ステータス主義、晩婚化、趣味の充実、東京一極集中などいろいろなものがあげられる。 どれも問題ではあると思うのだが、こうした具体的な問題の数々よりもっと抽象的な話に目を向けたほうが良いのではないかというのが僕の立場だ。 少子化の議論に関してはいまや具体的な問題が山積しすぎていて抽象的で大きな話は後塵に追いやられてしまった。無理もない。目の前の問題があまりにも多すぎるからだ。しかしながら何故ここまで少子化が進行したのかは大きな話抜きにしては説明がつかないはずである。 その大きな話が合理主義ではないだろうか。合理主義というと古
※ネタバレありです。けど本作品はネタバレを見てから視聴したほうが良いかもしれません。 ネットフリックスで話題になっているアドレセンスを見た。 ごく一般的な家庭で育った少年(ジェイミー)が同級生の少女を殺害して逮捕される話である。 ドラマの主題はインセルの言説に毒された少年である。一般的な少年がインスタグラムなどのSNSを通じて先験的に女性嫌悪を募らせ少女を殺害してしまう物語だ。 最初見た時にこれはサスペンスなのかと思っていた。第一話でドラマが始まるとすぐにジェイミーが逮捕されるのだが、逮捕されて警察官に調書を取られる際、「僕はやっていない」と容疑を否認していた。その後、警察官から犯行の証拠となる防犯カメラ映像を見せられた時にもやっていないと否認して一話が終わる。 一話を視聴した時には冤罪をかけられた少年の物語なのかと思っていた。しかし二話三話と見続けるとどうやらジェイミーは本当に犯行に及ん
マッチングアプリに絶望した増田 anond.hatelabo.jp についたブコメ まず女を人生をひっくり返す魔法のカードと思うのをやめてもろて この言葉の前提になっているのは「自分を変えるのは自分」という考えだと思うけれど、「自分を変えるのは自分」はそんなに確かなことではないんじゃないかな。 思い出すのが恐山院代を務めながら独特な言論を展開している南直哉さんの言葉で、南さんはことあるごとに「人は自らが望んで生まれてきたわけではない」と書かれている。この言葉は単純に解釈すれば反出生主義のような悲観論に繋がりかねないので警戒しなければならないけど、見方を変えると自分を取り巻く環境を変えることで自分を変えることができると解釈することもできる。 人は産まれた時から関係性の内に埋め込まれていて、「自己ははじめから関係している」と南さんは言う。自己を確立するのは親・友人・恋人のような他者、学校や会社
最近の報道を見てるとリスクヘッジとして女性を飲み会に誘うことが少なくなっていきそうではあるけれど、思い出すのがコロナ禍でジョルジュ・アガンベンが炎上していたことである。 アガンベンはコロナ禍で各国が外出を禁止するなど緊急事態宣言を発令したこと、そして生きることが至上の価値となったことを疑問視していた。通常の国家運営では議会が憲法に則り、デュープロセスを踏みながら政策を立案・施行する。それが「通常状態」であるが、憲法に明記されている移動の自由・集会の自由を超法規的に制限することを「例外状態」と呼び、その例外状態に従うことは危険であると述べて炎上していた。 アガンベンの主張は当時では受け入れがたいものであったことは確かだ。しかしアガンベンが例外状態を批判していた理路は明確である。コロナ禍では生きることが全社会的な大義とされていたが、生きること自体を一義的なものにすることは大変危険な考え方である
石丸伸二(敬称略)の記者会見とリハックの対談動画を見たのだがなにか妙な違和感を覚えたので熱が冷めやらぬ内に言語化したく記事を書いてみる。 石丸伸二を見ていて思うのは石丸伸二が石丸伸二である必要が果たしてあるのか、ということだった。 石丸伸二はよく分析やアルゴリズムという言葉を使っていて、どこをどういじったら社会はこうなるといった計算に長けている人物だという印象を受ける。 政治的な課題にたいして適切なアーキテクチャーを構築して実装すれば人々や経済はこう動くという分析的な発言がしばしば見られる。 例えば都知事選の時には東京一極集中を是正して多極分散すべきと主張していたことがわかりやすい。 東京は地方から若者を吸い込むブラックホールになっていて東京の人口過密+低い出生率があわさって人口動態にネガティブな影響を与えている。したがって東京一極集中を是正するべきだ。そのように主張していた。 政策のみな
こんにちは すこし書くタイミングを逸してしまった感があるが兵庫県知事選がすごいことになっていたので思うところを書いておきたい(すこし長いです) 兵庫県知事選は選挙前は斎藤元彦氏が再選するはずがないという下馬評だったが蓋をあけてみれば稲村和美氏に20万票の差をつける圧勝で幕を下ろした。 その衝撃が冷めやらぬ中、選挙後に斎藤氏の選挙公報を担当していたとされるPR会社merchuの代表取締役である折田楓氏がnoteに公選法違反とみられる内容の記事を掲載し目下炎上中となっている。 斎藤知事が公選法に違反していたとすればやりなおし選挙にもなりかねないと言われているが、そのへんの話はさておき個人的に気になったのはSNSの影響がどこまで選挙を左右したのかである。 ・相殺しあった主張の数々 今回の選挙はパワハラ疑惑で失職した知事が再選したことも驚きだったがそれ以上にYoutubeやXによって選挙結果が劇的
アメリカ大統領選に関して一般に言われているのがリベラルの敗北ということだけど「西海岸の綺麗事」は世界に波及こそすれ自国内の支持を得るのは難しかったようである。 思い出すのがカズオ・イシグロさんが「リベラルは横のつながりしか持っていない」と述べていたことだった。リベラリストは世界のどこにいっても階級的に同質な人々と付き合っているため、グローバルな視野を持っていると自覚しながら実のところ極めて狭い人間関係の中にいるという指摘である。随分前の話ではあるけど今回のアメリカ大統領選でも2016年の大統領選挙をなぞるかのような結果になり、カズオ・イシグロさんの指摘からなにも変わっていない結果となった。 違いがあるとすれば2016年の時にはトランプはまだ未知数の候補であって、停滞するアメリカ社会を変えうる起爆剤としての機能が期待され当選した側面があったが、今回の選挙ではアメリカ国民がトランプという人物を
衆議院選挙が告示されたということでいろいろな問題が争点になっているのだけどその中のひとつに社会保障費の増大がある。 いわく現役世代の社会保険料が上がり続けているが高齢者医療の自己負担率は低いまま(一定の所得がある人以外は1割)だというものだ。 他にも年金制度の持続はもう不可能で今の若者がその「そしり」を受けることになる、という話もよく聞く。 単純に貯蓄額の世代間格差なんてものもある。 この格差と絡める形で若者は可処分所得がなく、結婚することが難しくなっていてそれが少子化を加速させていると言われる。 また、近頃頻発している闇バイトであったり大久保公園のたちんぼをひきあいにして若者の貧困が進んでいるという話もしばしば目にする。 ほかに奨学金の話などもあるが、いずれにせよ若者はお金がない、という話をやたら目にする機会が増えた。 こうした現状を元に若者への支援を手厚くしようという政治的意見が叫ばれ
良い記事だった。 digital.asahi.com 自分がブログをあまり書かなくなった、いや、書けなくなった理由も似たようなものかもしれないと思った。 リベラルどうこうという話もそうなのだが、言葉を尽くしても体を成さないみたいな感覚がけっこう前からある。記事にあるようにネット言論はそれぞれがエコーチェンバーの中に閉じこもりカルト化しているため、政治的なことを書いてもそれは消費されるだけ、という側面ももちろんあるが、それ以上に社会全体が巨大なフィクションの繭で覆われている印象を受ける。 星野さんがリベラル界隈にたいして「遠慮」していたことと同じことがありとあらゆるところで起きていて、誰も本当のことを話さなくなった結果として形式化したフィクションが場を支配している。それは政治に限ったことではなくほぼすべての場所でそうなっている。 すぐ思いつく例として、「出会いがない問題」がある。ハラスメント
石丸伸二氏に関する論評がメディアを駆け巡っている。 僕は都知事選の最中はそこまで追っていなかったので後追いになってしまうのだが、選挙後に石丸氏のYoutubeや政策を見ているとなにかアニメを見ているような気分になった。 そしてそれが彼が支持を集めた理由なのではないかと。 石丸氏がYoutubeをきっかけに人気が出た発端となった動画だと思うのだが、安芸高田氏の市長を務めていた時に同市議会議員にたいして石丸氏が「恥を知れ、恥を」と言った動画がある。既得権益に切り込む優秀な若い市長、といったイメージを決定づけることになった動画だと思うのだが、これをはじめて見た時に感じたのがよくこんなアニメみたいなセリフを言うことができるな、ということだった。 www.youtube.com 日本人は特にそうだと思うのだが、普通、コミュニケーションを取る時にはなるだけ当たり障りのない言い方をすることが多い。毒舌で
都知事選が終わった。 結果としては小池百合子氏の当選で終わったわけだが、結果以上に注目されたのが立憲民主党と共産党に推薦されていた蓮舫氏の得票率の低さ、そして石丸伸二氏の躍進であった。 蓮舫氏の敗因は過激化した左派活動家が足枷になったことだと言われているが、市民から敬遠されるリベラル左派というのはもう10年以上前から指摘されていることである。 反権力を謳い自民党との対立軸を打ち出して改革派だという認識のもと選挙を戦っても政策の中身が世間が争点にしてほしい問題とはいつもズレていた。 国政でも夫婦別姓やLGBTの問題を取り上げて経済問題が二の次であるかのような印象を国民に与え、今回の都知事選でも神宮の再開発や小池百合子氏の経歴問題のような小さい問題を争点にしようとしていた。 そのようなリベラル左派にたいして指摘されるのがリベラルは国民を見ていないといった批判である。 リベラルは空想的で一部の支
コロンブスのMVが炎上しているみたいで僕も見てみた。 MVを見るとコロンブスが類人猿を従えてるように見えて、コロンブスの悪行を知る人からすれば憤慨するのもわからなくはなかった。僕はコロンブスの知識がアップデートされていなかったので海を渡って新大陸を開拓した人ぐらいの認識だったため、おそらく炎上していなければ趣味の悪いMVだなという程度の認識だったように思う。猿が人力車を引いているシーンはコロンブスのことを知らなくても不快に思う人はいるだろう。音楽は終始陽気な雰囲気であるうえコロンブスに扮したボーカルの人は楽しそうである一方、猿を従えて労働させているという点ではかなりシリアスな表現を含んでいるため、アンビバレントな感じを受けた。猿を労働させていることを風刺やアイロニーとして表現しているのであればまだしも悪意も他意も感じさせない純粋に陽気な音楽が鳴り響いていて、どう受け取れば良いのか混乱してし
弱者男性論に関する記事を読んだ www.ben54.jp 男性は差別されているのではなく排除されていると書かれていて、どうなのかと思ってしまった。確かに男性と女性では抱えている問題が違い、位相が異なる問題を同じ言葉で表すとそれぞれが抱える問題にたいする焦点がぼけてしまうのはその通りだと思うのだけれど、なんというかこういう「細部の違いを理解しよう」という態度が通用しなくなっていることが弱者男性論の根っこにあるのではないだろうか。 すこし前にメリトクラシー(能力主義)が話題になった時にも思ったけれど、能力が社会的地位や経済力と結び付きすぎると能力のない人間もとい収入が低い人間は安かろう悪かろうという具合に、人に対する視座が単眼的になることにメリトクラシーの問題があるように思う。 孤独で収入が低い弱者男性であろうとも優しく鷹揚な人物もいる。そんなごく当たり前の判断が通用しなくなり、能力がなく収入
草津の件がまた話題になっていたのでひさしぶりにフェミニズムについてです。 現代フェミニズムとはいったいなんだったんだろうか・・・ 「草津町に来て謝るべきでは」虚偽認定された性交渉証言に苦しんだ黒岩信忠町長の怒り㊤ - 産経ニュース 「世の中はひどい…言われっぱなしだ」性交渉証言に苦しんだ黒岩信忠草津町長の怒り㊦ - 産経ニュース 草津やオープンレターの件からずいぶん経つけれどいまだに話題になっている。 私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。 「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選
いただき女子りりちゃんの獄中日記を読んでいたら「なにもない」というエイズに罹り亡くなられたソープ嬢のブログを思い出した。 nanimonai.cocolog-nifty.com ●●●●●●●●●●●●(※判別不能) 苦しい苦しい苦しい。今、東海テレビ(フジテレビ?)宛に、自分の手記を書いてるけど苦しい苦しい苦しい. 書いてて苦しい. 思い出して苦しい. 自分の生い立ちをわるかったものとして(それが原因で私はこうなりましたって)かくこと、苦しい.… pic.twitter.com/7oZBvD7WSv — りりちゃんはごくちゅうです (@inu2narenakatta) 2024年4月1日 悲しみに暮れた女性が書く文章には独特な感性が宿っていて心に訴えかけてくるなにかがある。 良きように言えば感性ではあるものの、逆に言えば感性が宿る魅力的な文章を書けるということ自体が男性を色恋に落とし込む
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