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Claude Code
masayukilab.hatenablog.jp
仕事の研修で予備校の方の話を聞いたのだけど、大学入試共通テストが難しくなった年は埼玉大学の競争率が上がるのだそう。 共通テスト(旧センター試験)で思ったような得点が取れなかった受験生が、どこからどこにランクダウン出願するかのデータ蓄積が予備校にあって、理系は東京大→東京科学大→千葉大……などと流れ流れた末に、埼玉大学に志願者が溜まるのだそう。そこからさらに茨城大や群馬大には流れ出ず、埼玉大学で留まる、と。 では文系は、というとやはり同じで、なぜか不思議と埼玉大学に溜まるらしい。会場の参加者がみんな声をあげて笑っていた。(そして実際、共通テストが難化した今年は、埼玉大学の競争率が上昇していると) 共通テストが難しくなればなるほど争いが激しくなる埼玉大学。 軽い元素も重い元素も数兆年後には、核融合崩壊の果てにすべて鉄Feになるように、いつかは全受験生が埼玉大学を受験する宇宙の終末になるかもしれ
僕は子供の頃、年末に餅つきをする家で育った。 自宅の臼杵と、同居してた家族。中央の新生児がぼく。 昭和の頃の東京・九段の街はバブル前でまだ江戸の風情が残り、年末にモチをついている家は何軒かあった。 三丁目の町内会でも八百屋や酒屋の若旦那が集まった「青年団」で威勢よくモチをついていた。立ち昇る臼からの白い湯気が、年の瀬の風景として目の奥に焼きついている。 自宅の臼は、僕が生まれた年(昭和53年)に新調されたもので、「昭五三秋 かとう」と銘が彫ってあった。自分が生まれた記念に祖父が贈ってくれたかのようで、なんとも言えない愛着を感じていた。 逆さになってますが、オレンジの丸がこみ内に銘が見えます 家には大人たちがたくさんいた。 白い息を吐きながら熊のような力で杵を振り下ろす祖父や父、叔父らの姿は、大人の肉体への象徴として僕の心に憧れの刻印を残した。 寺で生き延びた実家の臼 しかし僕が大人になる前
僕は都内出身なのもあり、休みの日のお出かけはどうしても都内方面に足が向いてしまう。 それでもひとつだけ、茨城県内でリピートしてしまうのが笠間市の「茨城県立陶芸美術館」だ。 茨城県陶芸美術館 笠間市は、「笠間焼」と言われる陶芸で人気を集めている市だ。 つくば市と水戸市の間あたりにある公共交通機関の不便な場所で、車がないとなかなか行けないのだが、ここにある陶芸美術館は県内でも随一の展示の美しさとクオリティがある。 生徒引率行事で行ったときに不意を突かれて感動してしまい、その後かみさんを連れて行ったがその感動に共感してもらえて、以来、子供が生まれてからも定期的に通っている。 ぼくは、それまで陶芸という分野を甘く見ていた。 ただお茶碗や壺を作るだけでなく、表現素材としてこんなに幅広く魅力的なものだと思っていなかった。 裂けて、割れて、光り、うねる。 陶という永続的に残る素材でありながら、こんなにも
あらすじ(詳しくはリンクを) ・右肩〜腕の痛み/痺れを感じて通院 ・頚椎ヘルニアの悪化した「頚椎症性神経根症」と診断 ・2年かけて4人の医師の先生に診てもらった末、意外に大がかりな手術となる「頚椎前方除圧固定術」を受けることを決定 2024年4月 四谷先生の診察(手術の1ヶ月前) 手術する前提で病院を変わったので、四谷先生との打ち合わせの焦点は「手術する/しない」ではなく、現実的な手術の日程とリスクなどについてとなる。 病変部を除去しても神経損傷はすぐに回復しないため、長い期間で回復を見ていく必要があること。手術しても10人に1〜2人ぐらいは症状の改善が無いこと。その他、気道や脊髄へのダメージのリスク、など。 「人間が人間に対して行うことなので。100%はありません」 四谷先生がクールに手術のリスクを説明していくにつれて、僕は手術に対する恐れより、こんなリスクが存在する作業を日々の業務にさ
概要 VRゴーグルとロードバイクが引き金となって「頚椎症性神経根症」を発症。 右肩から指先までの痺れや麻痺が続く。 4人の医師の先生に診てもらった末、発症から2年3ヶ月後に骨棘除去&人工骨埋設&頚椎プレート固定をする「頚椎前方除圧固定術」を施術されることになった。 その顛末の話。 2022年2月 発症(手術の2年3ヶ月前) 原因は二つある。 VRゴーグルのボクシングゲームに夢中になりすぎたこと、もう一つはロードバイクでの通勤にいそしんでいたことだ。 もちろんこの二つをやっていても発症しない人は無数にいるので、もっと大元をさかのぼれば「首の形の遺伝的要因」ということになるのだが、それでもはっきりと違和感を感じた日のことは覚えているので記録しておこう。 その冬、僕はダイエットの一環としてVRゴーグルをレンタルで借り、ボクシングゲームに挑戦していた。 楽しくボクササイズする「FIT BOXING
1月 浅草東洋館1月初席 落語ファンをやっているからには1月初席は欠かせない。 浅草までひょいと電車に乗って向かう。 大好きな天どん師匠、ギリギリの人が出てきた危うさが魅力だと思うのだが、この日は客席の温まりが想定以下だったらしく、「どうしたんですか皆さん!何があったんですか!」と、珍しくうろたえる芸風を見せていてオオッっとなった。 末廣亭1月下席 鯉八師匠がトリ。 若手(だった)ユニット「成金」メンバーのなかでも異彩を放つ新作派、伯山ラジオでもよく名前が挙がり、一度見てみたかったので向かう。 演目「鯉八女学園」。 師匠の鯉八ワールドは「言語化できない独特の世界」と聞いていたが、マクラから本編へのつながりといい、繰り返されるモチーフのたたみかけといい、奇想天外の素晴らしいネタだった。 他にも成金メンバー柳雀の「疝気の虫」は仕草がダイナミックで良かったし、不名誉な「落語が不自由」と噂されてし
昨年、秋葉原→池袋→目黒で一時停止していた山手線一周チャレンジ。 のこり3分の1ぐらいを今後は逆向きに歩いて、完歩することにした。 秋葉原から線路沿いに神田川を渡る橋。子供の頃から歩き回っていた界隈だったけれどこんな橋があるのは知らなかった。 30神田 九段の育ちなのでだいたい隣町なのだが、全く乗り降りしたことの無い駅。 日本橋川を渡る、ながめのいい橋「竜閑さくら橋」。 ここからはダイナミックに蛇行する首都高速の様子をこれでもかというほど堪能することができる。 幸先のいい光景。 触れることの全くなかった田端や日暮里に比べ、この地区についてはそれなりに土地勘があるが、さっそく見たことのない風景だらけで、いい方向に期待を裏切られる。楽しい。 29東京 意表をついてみました。 こんな私鉄各停駅みたいな出口もあるんですね。 28有楽町 有楽町付近のガード下は、ガード下界隈の中でもとびきりの一等地、
僕の父親は晩年、中程度のアルコール依存に陥り、家族はそれに悩まされてきたのだが、そもそものかけ違いは「神経痛」だったように記憶している。 定年後はバス旅行や山歩きに行きたいな、などと話していた父だったのだが、定年早々どっちかの足の神経痛を患ってしまい、外出が億劫になってアルコール依存傾向を強めてしまったのである。 僕はまだ20代で神経痛などなったことも無く、全然共感できなかったので、「あんなにやりたいって言ってたのに酒ばかりになっちゃうわけ?」と失望の気持ちばかりを父親に持ったものだった。 さて僕のことであるが、2022年の後半は神経痛&関節痛との闘いであったと言っても過言ではない。 2月から痛みだしていたのだが、秋以降は頚椎ヘルニアで右腕が痺れ、テニス肘で右肘が痛み、右腕が完全に使い物にならなくなった。(コピー用紙の束も持てないレベル) しかも、どちらもサイクリング&ベンチプレスと、健康
この時期になると亡くなったあの人を思い出す、というのは誰しもあると思うが、僕にとって正月という季節は、4年前に亡くなった山田のことを思い出す季節だ。 山田祐資(やまだ・ゆうすけ)は大学の1つ下の後輩、2019年1月6日に難治性のがんが寛解せずに38歳でこの世を去った。常にシニカルでコミカルで酔狂を気取る彼は、彼らしいスタイルを保ったまま、自分の死生をしっかり見つめながらこの世を去っていった。 2017年4月18日 NHK EテレハートネットTV「がんと共に歩む力を」より その飄々とした姿は全くもって「山田らしく」、不自然なところは無いかのように僕の目に映っていたのだが、あれから4年経ち、一つの言葉をきっかけとして彼の胸中にまた思いを巡らせている。 『“がん”になったと言うと、哀れみの目で見られる』 これは、別のがん患者の方がこの記事で語っていた言葉だ。 がんになっても... | 生き方 |
僕の祖父は名を加藤文吉といい、明治43年に生まれ、平成5年の僕が中学3年生のときに83歳でこの世を去った。もう16年前の話になる。 じいちゃんは質実剛健かつ豪放磊落な感じの人で、75歳まで会社で仕事をし、引退後は書道と囲碁を嗜んでいた。 老人同士で集まるのをあまり好まず、最後まで威風のある生き方を通した人だったと思う。 これは僕がまだ2~3歳の頃、祖父の胸にカンガルーのように抱かれている写真だ。 記憶の中に在る祖父は厳しく、静謐な雰囲気を持つ人だが、孫にはやっぱり優しかった。 僕は小学生の頃、祖父の散歩に常にお供を申し付けられ、そのたびにハンバーガーやホットドッグにありついた。遠くまで散歩に出るときは、浅草で寿司を食わせてもらったり、新宿で天麩羅をご馳走になったりした。 要は、なかなかにかわいがられていたのだ。 父や叔父も含めて、祖父のことを敬っていない人はなく、完全無欠とまではもちろん言
もう3年ほど前になるが、実家のマンションで飼われていた猫が13年の命を終えた。 亡くなる数日前。当時2歳の長女とともに。 学生時代からアパートで幾多の猫を飼い、さまざまな生涯を見てきた僕だけど、この猫の生涯は数奇であったなあ、と思うところがあるのでちょっと記録したい。 叔父と猫の別れ、祖母からの受難 猫が飼われ始めたのは、かつて東京にあった僕の生家だ。 築何十年という古い古い昭和家屋である。 祖母と独身の叔父(いわゆる「子供部屋おじさん」)が二人で暮らしていたところに、いとこが拾ってきたらしい。 子の無かった叔父はこの猫をたいそう可愛がり、ミーコ、ミーコと呼んで溺愛していた。エサも相当にいいものを食べさせてもらっていた。 何歳になっても口うるさい祖母(いわゆる「毒母」だった)に辟易としている中、家での生活を唯一明るくしてくれた存在だったのだろう。 その叔父が平成21年に63歳で急逝する。
『とある「社会問題A」に関して、ある人の表す態度が「沈黙」「無関心」であった場合、その人は問題Aに対して強者の立場にいる人である。』 という原理を、根が深いなと最近感じることがある。 というのも、先日、中学生が人種差別問題についてプレゼンテーションをしたのだが、その発表に対するコメンテーターが全員ジャマイカ系の黒人だったので、「果たしてこのジャマイカ人達はどうコメントするのか?」とちょっと気になったのだが、そのコメントは 「この種の問題に対しては『触れない、沈黙を保つ』というのが賢いとされる中で、あなたの勇気あるプレゼンテーションに敬意を表する」 というものだった。 なるほど。日本にいると問題がさほど先鋭化しないので気にしないが、多民族・多人種国家では「沈黙が最良の選択肢」という現実が往々にしてあるのだな、と実感したのである。 いっぽう、最近の日本で荒れがちな社会問題「ジェンダー・フェミニ
子供(4歳前半)を自転車に乗せることに成功した。一回も転ぶことなく。 僕は運動にまったく才能がないため11歳ぐらいまで乗れず、子供時代の自己抑圧的な性格を生む原因のひとつになったので、自分の子供が自転車に乗りおくれないようにすることは育児におけるテーマの一つでもあった。 そのため長年、僕なりのステップを考え続けていたのだが、それが見事に実を結ぶ形となった。うれしいのでちょっとブログに残したい。 どうやって乗せるのか? 僕のとった方法自体の大筋は、特段目新しいものではない。ここで細かく説明するより、この記事なんかを読む方がずっと実用的だ https://iko-yo.net/articles/298 2~3時間で乗れる子どもも!補助輪なし自転車練習のコツ 11歳まで乗れず、乗れなかった頃の記憶が非常に鮮明な僕にとっては、とても当たり前のことだと感じる。大事なのはまず、バランス感覚を養うことな
仕事で極夜(白夜の逆)のことを調べているうちに『極夜行』という本に突きあたった。冬の北極圏の極夜の中を数カ月にわたって単独行をした探検家のノンフィクションだという。 極夜行 作者: 角幡唯介 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2018/02/09 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (2件) を見る これは良さそうだと思ってなんとなく買って読んでみたところ、これがものすごい面白さでびっくりしてしまった。 夏に電車の中で読んだのだが、すごい深さで暗黒の極夜へと意識がひきこまれるとんでもない迫力の書物であり、自分が真夏の日本にいるのを忘れさせられるほどだった。 「迫力?こういう偉業系の人が書く文章って『ドヤ文章』なんじゃないの?」と思うかもしれないが、そんなことはなく、自身の探検行為に対して、そして文章を書くという行為に対してクールな距離感を持ちながら記述されているのがほんとうに素
このあいだ、地方と首都圏で転勤を繰り返す職種の友達から「やっぱり働いている人間の対応の優秀さは、都市化の度合いに比例する」との感想を聞いた。これは僕もそれなりに同意するところがある。私立学校で働いているが、やはり私学の本場は東京と大阪・兵庫だ。都内の私学の先生たちの意識の高さには敵わないなという思いがあるし、それ以外にも随所で感じるときがある。 それでも僕が不思議に思うのは、あれだけ優秀な人たちが、なぜ、あの住環境の悪さには目をつぶれているのだろうか、という点だ。僕はそこがクリアできなくて都内に帰れず郊外に居残ってしまった。ちょっと思いを振り返りたい。 都内の戸建は狭い 昨年、僕はつくば市に家を建てたが、建坪は20坪弱ぐらいで駐車場2台つき、茨城の家としてはだいぶ小さいほうである。 しかしこれを都内の知り合いに話すともちろん驚かれる。都内ではみんな茨城に比べると驚くほど小さい家に住んでいる
カルチャー論が好きで、ちょこちょこ目を通しては真剣に考える。 このあいだ読んだ鴻上さん×中川いさみさんの対談における「不条理の終焉」などには、ことさらに「なるほど……」と思わされた。 www.moae.jp 子供の頃からスピリッツを読んでいて、中川いさみさんの熱心なファンだったので、いま中川さんが考えていることというのに非常に関心がある。榎本俊二さんも育児マンガを描く時代、あんなに流行った「不条理」はもう戻って来ないのだろうか。 (鴻上さんの登場回は、この前の回もほんとうによかったのでおすすめ) さて、それと最近気になったのが「オタク対サブカル」という構図はあったかという話だ。 ta-nishi.hatenablog.com これはもう、ものすごくあったように思う。 特に僕ら、またそれより少し上(1973~78年生まれぐらい?)には肌感覚として残ってるんじゃないだろうか。そして、僕なんかま
4月 浅草 4月上席 上席5日間、伯山がトリ。 そんな折、子に「おばあちゃんちへ従姉妹とお泊まり」というイベントが入ったので、暇を持て余していたカミさんを引きずって夜の浅草へと向かう。 演目は「万両婿」。見るたびにバージョンアップして行く得意のネタに今日も爆笑と感動の高座だった。カミさんも無理やりだった割には気に入っていた。 なぜ僕がいつも少し無理をしてまで伯山を見に行くのかわかってもらえたと思う。 また、最後まで寄席を見たのはカミさん的には初めてだったので、「その日の主任に向けて盛り上げて行く」、とはどういうことなのか、肌で感じられたことは良かったとも言っていた。 小痴楽師匠の「両泥」も良かったし、萬橘師匠もフル回転で良かった。 ボーイズ先生が謎かけをお題を募っての即興でやっているのも初めて見られた。(できるんだ!と、びっくりした) 配偶者を誘って観に行くのにこれ以上は無い、完全な浅草演
僕は8年ほど前、茨城県の阿見町というところに1年半住んでいた。 鉄道の駅も無い平和な町で、自衛隊の基地以外にこれといった施設も無かった。町の面積のほとんどは広がる田園と森林である。 まあ当時は諸般の事情からここに住んでいたわけだが、ぼくはこの時期の体験から一つのことをごく肉感的に実感した。 それは「人間『どこにでも住める!』と思っても、実際そうでもないんだな」ということだ。 ひととおりのお店はあるのだが。 阿見町中心部である。 中心部には、人間生活に必要な店はひととおりあって、特に不便するということは無かった。 特に「マイアミショッピングセンター」というベタ極まるネーミングの施設にはまあまあの規模の本屋をはじめ基本的な店がそろっていて、「阿見の真ん中に住んでいる」と言うとむしろ「便利でいいねー」というコメントが返ってくるのが普通くらいであった。 しかしなんだろう、こう言うと失礼かもしれない
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