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衆議院選挙2026
ta-nishi.hatenablog.com
これから書く話は、なんの科学的根拠もない与太話として聞いてほしい。 みなさんはマンガ家やミュージシャンなどいわゆるクリエイティブな職種についている人間の容貌を見て、「異常なほどに若々しい」と感じた経験はないだろうか? たとえば『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる荒木飛呂彦先生などは、著作と関連付けられ「リアル吸血鬼」としてネタにされるほどだ。 荒木飛呂彦先生の比較表2022年版を作りました pic.twitter.com/mF3BUxEycw— 男爵芋 (@Potato_1838) 2022年5月3日 これには共通した理由があると私は考えている。 「ゾーン」という言葉をご存じだろうか? 周りが見えなくなるほど作業等に没頭した過集中状態のことを言う。 実際に「ゾーン」に入った経験のある方にはおわかりいただけると思うのだが、「ゾーン」では時間の経過が異常に早く体感される。 ふと我に返り時計を見て
ぜんぶ仕事が悪い 「男性同士のケアのできなさ」は、生活実感としてあると思う。言い換えると、「気持ちへの寄り添えなさ」。男はびっくりするくらい他者の気持ちに寄り添わない。その一方で、自分の気持ちへの寄り添いは強く求めている。お互いの気持ちに寄り添うのがWin-Winになるのは明らか。何故そうならないのか。— タマキ (@fuyu77) 2025年9月6日 前々から主張しているように私は「男性はすでに互いにケアし合いまくっている」論者なんだけど*1、そうではないと主張する方々は「仕事」以外の男性コミュニティを知らないからなのではないかとふと思った。 仕事は利害と競争の場だから確かに私も周囲の男性のケアなんかしないし、実際仕事中の私はめちゃくちゃ性格悪くなっている自覚がある*2。むしろ性格悪くあることを望まれているとすら仕事の場では感じている。性格悪くなければあの場所ではやっていけないし、成果も
令和の「メロいは性欲論争」/00年代の「萌えは性欲論争」 先日私のTwitterのTLに「メロいは性欲なのか?」という話題が流れてきた。そこでは「メロいは性欲なのではないか?」という指摘に対し、実際の「メロい」使用者たちがそうではないと反論していた(性欲と認める者たちもいた)。 これとまったく同じ光景を、かつて私は見たことがある。00年代の「萌えは性欲なのか論争」がそれだ。 メロいは性欲なのか問題、ゼロ年代の萌えは性欲なのか問題そっくりだな。あれの女性版か。 あのときも「萌えは性欲を素直に認められないオタクがそれを隠蔽するための言葉」とか言われてオタクがちがうと言い返したりしてた。— たにし(『スクールカースト』発祥の人) (@Tanishi_tw) 2025年8月16日 これから私が書く話は「メロいや萌えは性欲なのか?」という話ではない。そうではなく「メロいや萌えは性欲だと発言することが
anond.hatelabo.jp ↑私自身がアラフィフ独身子なし男性なこともあり、似たような境遇の者が私の周りにはたくさんいるのだけれど、独身子なしという境遇に後悔している人間を私は現実で誰ひとり見たことがない*1。だから冒頭の増田のような言説は、そうであって欲しいという既婚者の願望なんだと私は思っている。 自分が選ばなかった人生を歩んだ独身者は不幸であって欲しいという、既婚者の願望。不幸な独身者の姿を見ることで、不幸な独身者の物語を信奉することで、「結婚した自分は間違っていなかった」と自らの人生を肯定するわけだ。 とはいえぶっちゃけ私も不幸そうな既婚者を見ると「蜜の味」を感じてしまうので、他人のことを言えた義理ではない。不幸な既婚者の姿を見ることで、不幸な既婚者の物語を信奉することで、「結婚しなかった自分は間違っていなかった」と自らの人生を肯定するわけだ。 自分が選ばなかった/選べなか
『スクールカースト』誕生20周年おめでとうございます!! パチパチパチパチ~~~~ …と書いても突然私がなにを言いだしたのか、ほとんどの方がぽかーんだと思いますが、書いた言葉そのまんまです。本日2025年6月29日は、『スクールカースト』という言葉が誕生して20周年の記念すべき特別な一日なのです。 どうしてそんなことがわかるのかって? 『スクールカースト』という概念を言語化し、ネットで広めた張本人がこの私、たにしだからです。 いまではこんなにも一般化した『スクールカースト』の発祥が、Xフォロワー1000人程度、市井の弱小アカウントであるこの私なんてウソみたいだろ…でも、本当です。ウソみたいなホントの話。事実は小説より奇なり*1。 手前味噌で恐縮ですが、今日はそんな『スクールカースト』20周年を記念して、発祥者であるこの私から誕生秘話的な話を書いてみたいと思います。 『スクールカースト』誕生
個人主義社会で顕在化された、「結婚したくない」という本音 今のようなゲームバランスになったのは歴史的な要因であり、社会の制度などの影響なので、ゲームバランスを調整し直すことは可能なんだと思うんですよね…… ぼくがこの連載で向かいたい方向は、そっちなんです。 https://t.co/DsQfgx2k17— 藤田直哉@『攻殻機動隊論 新版_2025』5月刊行 (@naoya_fujita) 2025年6月5日 ↑はい。藤田さんの連載記事を読んでいると、それを志向していることはよくわかります。だからこそ今回の記事でも、男女関係の歴史的変化の経緯を多数紹介し参照されている。 けれども私はゲームバランスの調整、難しいと考えています。それにその程度の変革で、人々が恋愛や結婚に回帰するとも思えない。そもそも「恋愛や結婚というゲームをやりたくない」という以前からあった人々の本音が個人主義の浸透により許さ
「消費者の世界」と「プレイヤーの世界」 togetter.com ↑コンテンツの世界には「消費者の世界」と「プレイヤーの世界」があると思った。アニメ/マンガ/小説/映画は前者、(e)スポーツは後者。音楽はその中間。「消費者の世界」ではクリエイターが1番エラく、「プレイヤーの世界」ではプレイヤーが1番エラい。 両者のちがいは消費者の作品への介入度だ。 「消費者の世界」のコンテンツはそれ単体で完結している。作品を産み出したのはクリエイターであり、読者/視聴者の役割は受動的にそれを消費するだけだ。ゆえにこの世界では圧倒的にクリエイターが1番「エラい」ことは論を待たない。 これに対して格ゲーやFPs等eスポーツのタイトルは、消費者がプレイヤーとして作品に参加する前提で作られている。プレイヤーがいなくては作品は完成しない。ゆえにこの世界での消費者=プレイヤーは、もはやクリエイターの一員といえるほどに
「AIとかの新技術に投資できるのは若者の特権」 先日ゲンロンカフェのイベントであずまん*1が、「AIとかの新技術に投資できるのは若者の特権。俺みたいなおっさんが1年かけてAI勉強したとしても、それを使える時間は10年もない。だったらこれまで磨き上げてきた技術を使い続けた方が人生トータルで見て効率がいい。でもこれが若者からは老害に見える」的なことを言っていて激しく納得した。 たとえば現在の自分が100の力を持っているとしてゼロからAIを使い始め、1年で10ずつ成長していくと仮定したら同じ100の力を出すのに10年かかる。だったら現状の100のやり方で10年やるわという話。 現状のやり方:100*10 = 1000 新しいやり方:10+20+30+… = 550 ↑の話を計算してみると10年でこれだけの差が出る。もちろんこの後採算ラインに乗ったAIがMAX150(仮)まで成長して長期的には人間
s-scrap.com 成功するまでの彼はインセル・非モテ的であり、「弱者男性」的であり、フィクションにおいて現実の過酷さから逃れ自身を支えるという意味での「オタク」(適応の方法としてのオタク)であった。現在は「覇権的男性性」を体現しているように見えるが、心身に刻み込まれた傷により、彼は「従属的男性性」を維持したままなのである。彼が非常に強い躁鬱に悩まされていることは、この二つの性質を彼自身が行き来していることを示すのではないだろうか。 ↑この記事で語られるイーロン・マスク像は、私的トラウマから世界を憎み滅ぼそうとする三流テンプレファンタジーの魔王そのものだと私には感じられた。それに倣うならイーロンが救われる道は「愛」に倒され自身は「悪」だったと証明される事だろう。世界は「愛」だったと証明されることだろう。 現在「覇権的男性性」を体現しているかのように見えるイーロンだが、本質的には「従属的
「人間」とは「責任を引き受ける主体」である 雁琳さんがまたセンシティブな事を言ってるが。 「人間」というのが「責任を引き受ける主体になれる事」であり、「責任を引き受ける事」が「リスクを引き受ける事」であると考えると、「人間」で居たくない人もいるだろうなと。 そしてその割合には結構大きな性差があるだろうなと。— 本を読むマン (@book_read4488) 2025年3月17日 "「人間」というのが「責任を引き受ける主体になれる事」であり、「責任を引き受ける事」が「リスクを引き受ける事」である" 「女こども」という俗語は、これをまさしく端的に言い表した言葉だ。女性や子どもは男性から護られる対象であり責任を引き受ける主体ではない、すなわち「人間」ではないという差別。これに抗ってきたのが初期フェミニズムだったわけだけれど、ずっと「女こども」でいたいという女性もまた、この世の中には数多く存在する
ステロタイプ、それはすべての差別の元凶 s-scrap.com なぜ身長170cm以下の男は人権がないのか――「KKO」「かわいそうランキング」「ガラスの地下室」と共感の問題 - 晶文社スクラップブック 本連載は、「弱者男性」などの議論を追うことで、通俗的な「男性性」が想定する一枚岩的な男性観や本質主義は間違いであり、多様であることを示してきたが、究極的には、男女ともに個や現実・事実に即していない「リアリティ」は全て改められるべきであろう。 人間の認知には限界があることも承知で理想を言えば、個々の複雑さや多様さそれ自体を注視し、「男性/女性」のような粗雑な二項対立で物事を理解すること自体を辞めるべきである。 本来多様な個人が「男性」「女性」と属性化される事でステロタイプに押し込まれてしまうという、↑の記事の話。ジェンダーに限らないすべての差別の本質だと思うし、可能な限り他者を個人として見る
最近ネット遍歴自己紹介的なことする機会が立て続けにあり、ふと脱オタした25年くらい昔のことを思い返していた。24歳ごろの話だ。 当時、私は「彼女ができた」ことで脱オタ達成としたけれど、本当の目的はもっと大きく「社会不適応のコンプレックス解消」のようなことだった。 私は学生時代ものすごいコミュ障で彼女はおろか友達すらぜんぜんできなくて、それが辛くて高校中退もして*1。みんな知ってる芸能人も遊びも知らない世間知らずな自分。それで学校やバイト先の雑談についていけず休憩時間いつも寝たふりをしたり図書室やトイレの個室へ逃げ出してしまうこと*2。そうしたコンプレックスを解消することが目的だった。産まれてこのかた20年来の、そういうコンプレックスが限界にきていた。 クラブでナンパを始めたのもいわゆる「世間知」の勉強のためだった。クラブナンパするためには音楽に詳しい方がいいし*3、外見もお洒落でなきゃダメ
どうすれば愛しあえるの 幸せな性愛のヒント (ワニの本) 作者:宮台真司,二村ヒトシベストセラーズAmazon <法内>の言葉と日常、<法外>の身体(性愛)と祝祭 『どうすれば愛しあえるの』(宮台真司x二村ヒトシ)を読んだ。この本でひたすら繰り返し語られること。それは<性愛>は<法外>に位置するものであり、<法内>の<社会>の論理とは絶対に折り合わない存在であるということだ。 ・法内の存在 - 社会/日常/ケ/言葉/交換/損得勘定 ・法外の存在 - 世界/祝祭/ハレ/身体(性愛)/贈与/愛(情熱) 宮台真司によれば人間はそもそも法外の存在であり、私たちがいま生活する法に照らされた社会というものは、大規模定住生活がはじまった約3000年前、ダンバー数(約150人)を超えた人間を統治するために法が発明されて以来の歴史しかないものだという。法を可能にした言葉の発明が5万年前。人類の誕生が50万年
出産の自由意志という『最後の一線』 www.jstage.jst.go.jp 少子化という現象は、資本と国家が最後の一線を越えて人間性を蹂躙するに至っておらず、世代の再生産に関する意思決定の自由がわれわれの手元にあることの証なのである。 ↑少子化を資本主義への抵抗運動とみなし語る論文を読み感銘を受けた。 しかし同時にこの論文が危惧する「最後の一線」はいとも容易く踏み越えられ、世代再生産の意思決定権が私たち個人から国家や資本の側に移る可能性はすでに十二分にあるだろうとも感じてしまった。 個人の自由意思は『勤労』の領域でとっくのむかしから侵害されまくっている 結婚出産はいまのところ国民の義務ではないけれど、日本国憲法が規定する国民の三大義務「勤労/納税/教育」に勤労が入っている事を考えれば、これも絶対不可侵領域なわけではないことに思いが至る。 現在、結婚出産が個人の自由意思とされているのは、国
コミュニケーションの型だと!?現場でやり込んで身体で覚えてくださいとしか言いようがない。コミュニケーションは座学ではなく体育なのでな…— たにし (@Tanishi_tw) 2024年10月29日 コミュニケーションは、座学ではなく体育である コミュニケーションの「型」の話題が私のTwitter上に流れてきた。コミュニケーションを苦手とする方が上達の足がかりとして「型」(知識)を求めるのに対し、上級者たちがコミュニケーションではそうしたものよりも目の前の個人をよく見て対応することが重要という話をしているようだった。 私はコミュニケーションは座学ではなく実技、特に体育に近いものだと理解しているので、ここでいう型(知識)だけ覚えてもどうにもならないと考えている。野球のルールだけ覚えても、野球そのものが上手くなるわけではないのと同じ話だ。教本から模範的バッティングフォームを知識として学ぶことは可
iPadが毎日ランダムにセレクトしてくる写真フォルダおすすめの1枚を見て、十数年前に私がいまの人生を選択するターニングポイントとなったとあるイベントのことを思い出した。 当時ときどき遊びに行っていたDJバー店長が主宰した、界隈のお客さん中心に70-80人程度が集まる中規模クラブイベント。DJがかける音楽はオーディエンスの年齢層に合わせ90-00年代を中心に、ダンスミュージックからJ-POP/アニソンまで幅広くオールジャンル。 当時の私は人生に迷走しまくっていた時期で。少し前の大失恋のダメージがいまだ生々しく残るなか*1登録した婚活サービスはまったく上手くいかず、残りの人生に意味も希望も見い出せず鬱々とした毎日を過ごしており、実際医師からうつ状態と診断され薬を処方されていた。 そんなある日に開催されたこのイベント。特にそれほど楽しみにしていたわけでもなく知人が主宰だからという程度の理由で顔を
anond.hatelabo.jp https://anond.hatelabo.jp/20240602174645anond.hatelabo.jp ↑ふたつの増田を読んで。 奢ってほしい女性には奢る、それが嫌いな女性には奢らない。 https://anond.hatelabo.jp/20240602174645 あえて説明するなら属性で見るな、差別するなっていう面と、性欲を全面に出すなの2つがある。 私も「人として接する」は↑のような話だとは思うが、より解像度を上げて正確にいうなら「個人として接しろ」という言い方になると思う。そして個人として接した場合、「属性で見るな」というそもそもの定義とは矛盾した事態がしばしば発生する。 たとえば異性に「女性ではなく人として接した」場合。「俺は男性だから女性に奢る」という行動はNGだ。これは人間を女性という属性として扱う最低なモノ扱い行為である。実
独身の才能 note.com ↑小山(狂)氏のnote記事を切っ掛けに、Twitter男女論界隈*1で『45歳独身狂う説』が再燃していた。説の元ネタは界隈のnote売りポンデベッキオ氏。小山(狂)氏の今回の記事は、ベッキオ氏の「狂う」という主張への反証という形になっている。 note.com 私は46歳独身おじさん当事者なので、この説を額面どおり真に受けるなら既に「狂ってる」という事になる。しかし前回の記事で書いたとおり私は独身ではあるが自分の人生に満足しており、幸せで充実した人生と自負しているので、この説については無駄に若者の不安を煽る事実に沿わない悪質な流言と考えている。noteを売るための不安煽り商法だろう。 ブログ婚活、失敗しました - 自意識高い系男子 世の中には「結婚しない人生は今がよくても将来は悲惨だ」と不安を煽る言説をまき散らす方も多いですが、私の見るところ別にそんなことは
いまから2年ほど前、「ブログ婚活」と称して私たにしの結婚相手をこのブログで公募したことがありました。 ta-nishi.hatenablog.com 結論から言えばこの婚活は失敗に終わりましたので、ここで報告させていただきます。 応募総数3名。うち交際に至ったのが1名。 この女性と1年半ほど交際を続けましたが、いろいろと折り合いのつかない事情が見えてきて昨年秋ごろに破局。以降半年ほど独身生活を送っています。2年前44歳だった私も順当に歳を重ね、いまでは46歳。「いまさら結婚してもな…」感はますます上昇し、いまのところこの人生で結婚するつもりはもうありません。 交際と破局を通じて改めて実感したのは、「私の人生に結婚や家族は別にいらないな」ということ。そもそも私は孤独に強いし、お金もそれなりに持っているし、友人もたくさんいて趣味も充実しているので、家族に生きがいや孤独の穴埋めを求める必要がない
banashi1.hatenablog.com 山奥ニートこと葉梨はじめ氏が、子育てのために山を降りるという。 私は人生の選択肢はあればあるほど良いと考えている人間で、オルタナティブな生き方を模索実践する氏の活動にも興味を持っていたので残念な気持ちがまったくないと言えば噓になるが、実際問題山奥での子育ての過酷さは容易に想像できる。 青年期/結婚期/子育て期/退職後。人生のステージに応じて生き方の最適解は変化する。その変化に人生を対応させていくのは個人として至極当たり前の話だろう。子供という守るべき存在ができれば、「普通」の生き方から外れた自由な人生を歩むことは難しい。 やっぱり真の自由って、守る物が特にない人にしかできない。子どももうけて感じる。とはいえまんこは言い張り続けるよ— ろくでなし子 /Megumi Igarashi (@6d745) 2024年1月25日 “ 守るべき存在ができ
個人の内発的動機で駆動される社会、『個人主義ユートピア』 p-shirokuma.hatenadiary.com amamako.hateblo.jp ↑の辺りを読んで。 かつて00年代の2chやニコニコ動画において存在した、金にならないからこそ発生した平等意識。それを私は「個人主義ユートピア」と呼んでいます。同様の個人主義ユートピアは、00年代はてなダイアリーやプロ化以前のゲーセンにもありました*1。 ニコ動にあってyoutubeにはないもの。はてなにあってnoteにはないもの。ゲーセンにあってe-sportsにはないもの。それが個人主義ユートピアです。 これら個人主義ユートピアを成立させるために肝要なのは、「金と権威」をコミュニティから取り除くことです。金と権威が得られるとわかるや否や、それ目当てのハイエナどもがコミュニティに群がってくる。ここはてなでも10年代初頭にアフィリエイトブロ
anond.hatelabo.jp blog.tinect.jp 上記2つの記事を読んで。 中年になってモブ人生が確定してマジでつらい 生まれてからずーっと、人に言われたことだけやって、我慢料として安い給料を渡されてさ。 ↑の一文にすべてが書かれている。増田がモブであり自分の人生を生きれていないと感じている理由は人生でなにも得れなかったからではなく、「選択と結果」を引き受けてこなかったからだよ。 なにも選択しない受け身の人生であれば、それがどれほど成功した人生だろうとも「主人公感」に乏しく「やらされてる感」が出てくるのは当たり前だろう。逆に自分から主体的に選択した人生であればそれがどんなに失敗した、あるいは平凡なものであろうとも「やらされた」「人生の主人公は自分ではない」なんて感覚は出てこようハズもない。時にその選択を深く悔やみ、死ぬほど苦しむハメになることはあるだろうがたとえそうなったと
書いたな!俺の前で!脱オタの話を! これは明確になぜこうなったかという根拠があって、2012〜3年ごろオタク界で割と有名だった「脱オタクファッションガイド」というHPがありまして、そこではオタクに見られないファッションとしてチノパンやデニムシャツが鉄板アイテムとされていたんですよね pic.twitter.com/Nw1mbAYe2x— 止れ (@Re_Tomare) 2023年7月10日 ↑2012-2013年ごろよく見かけたチノパンデニムシャツコーデはWebサイト『脱オタクファッションガイド』の影響だというのだけれど、端的に言ってこの発言はまちがい。確かに『脱オタクファッションガイド』は脱オタサイトとして割と有名なサイトで書籍化までされたりもしています。 脱オタクファッションガイド 作者:久世,トレンド・プロオーム社Amazon ただこのサイトの全盛期は2004年前後。最初の書籍化は2
労働において「本当は脱ぎたくなかった」なんてどうでもいい note.com ↑吉岡里帆が本当はグラビアの仕事が嫌だったのかなど、どうでもいい話だ。この世の中にやりたい事だけやっていれば成立する仕事などひとつもない。 「やりたくない事だけど仕事だから仕方なくやった(やらされた)」。社会人でこのような経験を持たない人間など男女関係なく誰一人として存在しない。人によってはグラビア撮影もそのひとつだろう。私だって本当はそもそも働きたくないのに働かされている。私たちは働かされた。5000兆円欲しい。 グラビア撮影は女優の仕事として一般的に想定内の仕事だ。求められることに不自然さはない。どうしても嫌なら仕事を断ればいい。それではライバルたちに遅れを取るといわれても、それは求められる業務で実績を出せなかったのだから当たり前だ。私だって特許出願のノルマなどやりたくないけれど、やらなければ査定を落とされ出世
本能は意識レベルで「子供が欲しい」と人間に思わせるシステムではない anond.hatelabo.jp 子共を残すことは本能なのだろうか?まぁ、本能なのだろう。 食欲や性欲といった「本能」は脳科学では「報酬系」として説明される。食事やセックスを行ったとき、人間の脳内ではドーパミン等の快楽物質が分泌され快感を感じるようにできている。これが私たちに食事やセックスへのモチベーションとして働き、生命の維持や種の保存につながる。逆にケガや病気等で身心に異常が発生すれば、器官は脳に痛みや不快感として信号を送り異常を修復させようとする。 ここで注意が必要なのは、私たちが報酬系に促され行動を起こすとき、意識レベルでは生命の維持や種の保存を目的として行動しているわけではないという点である。私たちが食事をするのは意識のうえでは「生命を維持するため」ではなく「腹が減ったから」「飯が美味いから」だし、セックスする
ブクマカだけで議論w してんじゃねーよ yoppymodel.hatenablog.com はてなブックマークの攻撃性問題は、ブクマカだけで議論しても無意味である。なぜならブクマカに迷惑をかけられている「被害者」は、ブクマカではなくブロガーだからだ。加害者であるブクマカだけでいくら議論wを重ねたところで、自分たちがいかに楽しく罪悪感を感じずに被害者をいじめるかという話しか出るわけがない*1。 それなりに炎上経験のある有名はてなブロガーで、はてブを好きな人間などいない。今回炎上の中心となっているヨッピー氏は言わずと知れた超有名ブロガー/ライターだし、過去を振り返ってみてもid:fujipon氏、id:p_shirokuma氏ら、名だたるはてなブロガーがはてブを批判している。 fujipon.hatenablog.com p-shirokuma.hatenadiary.com 前垢から含めて2
Re:『不可解』 「お金とか、ビジネスとか、効率とか、そういうことをこれから考えなくちゃいけないんだ」と歌う、若い作曲家が書いた曲を聴いた。若者らしく青臭い潔癖な、大人の社会に感じる薄汚さ。そうした物に対する反抗と不安。そんな感傷が歌われていた。 お金とか、ビジネスとか、効率とか、 そういうことをこれから考えなくちゃいけないんだ。 そうでしょう? だって学校なんかじゃ責任感とか、団体行動だとか、 ありもしない、意味もない将来のためとか言って教えてくるじゃん? 「あるべき人間の姿へ」 「正しい人間の姿へ」 そう思えばなんだか人間全てが汚く思えてくるな。 仮想世界とか、妄想とか、そういうものこそ美しくなる。 ああなんだこの感情は。人間らしくない私だ。 お金とか、ビジネスとか、効率とか。そういうことをあまり考えてこないまま、私は45歳を迎えてしまった。私がまだ10代の若者だったころ、大人の社会は
収入で勾配つけるのが一番平等じゃね? anond.hatelabo.jp ネット上で定期的に炎上が繰り返される男女論の花形、奢り奢られ問題。私コレ、収入差に応じて勾配を付けるのが一番平等で一番いいと昔から思っていて。たとえば可処分所得700万と300万のカップルなら*1、収入差は7:3だから7:3で出し合えばいい。これは男女関係なく*2。 男性が奢るべきという価値観は、「男は仕事/女は家庭」という男性稼得規範が強かった一昔前の家父長制的価値観なんですね。稼げる仕事を男性が独占しており10:0で女性はカネを持っていなかったんだから、男性のカネに10:0で女性が頼らざるを得ないのは至極当たり前の話だった。 でも女性の社会進出が進み、男性より稼いでいる女性もまったく珍しくなくなった現代社会においては「男性の方がカネを持っている」という前提はもはや成立しない*3。であれば奢り奢られの根拠であった「
Q:婚活の場は、なぜあんなにもつらいのですか? A:人間が物象化され、疎外に晒される場だから。 …と書けば私がなにを言いたいのか、マルクスを少しでもかじった事のある君のような勘のいいガキなら一行で理解できる話ではあるのですが、理解できなかったあなたのために3000字程度の補足を。 「物象化」は『資本論』で有名なカール・マルクスが唱えた概念で、人間関係が物と物の関係のように扱われる事を言います。言い換えれば人間を「機能」として扱うこと。人間関係には「機能」の部分と「情」の部分がありますが、この「機能」として他者を扱うことが「物象化」です。 [例] 同僚の山田さんが転職することになりました。このとき「山田さんがいないと仕事が回らなくなる。困ったな」と感じる部分が「機能」(=物象化)。「山田さんがいなくなって寂しいな」と感じる部分が「情」。 資本主義と能力主義の現代社会で生活する私たちは、会社な
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