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Claude Code
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読者の方からこんなメールをもらった。質問へのお答えはブログに公開しますとご返事をした。 こんな質問である。 質問(1):現在公開されている自民党の改憲草案(2012年作成)は、このままではとても大多数の国民が賛同するとは思えない酷い代物です。果たして、これをそのまま国民投票の材料として使ってくるのでしょうか。 ひとつのケースとして、国民投票向けに口当たり良くソフトに書き直した草案を提示してくることも考えられます。その場合、文言に解釈変更の余地を残すとか、何か抜け道を用意しておいて事後的に文言を再修正するとか、あるいは我々の想像を超えるような悪辣な手を使ってこないとも限りません。現時点では予測の話でしかありませんが、この草案の問題について、先生はどうお考えになりますか。 自民党の改憲草案をそのまま国民投票にかけるとは僕も思いません。おそらく九条二項の廃止と自衛隊の明記と緊急事態条項の追加が改
全国紙はいま劇的な部数減にさらされている。民放テレビも末期的である。若い人は新聞を読まず、テレビも視ない。全国紙も民放テレビも、ビジネスモデルとしてはあと十年持つかどうか分からない。 なぜ「こんなこと」になったのか。それについてメディア側から真剣な分析を聴いた覚えがない。 13年前、朝日新聞の紙面審議委員をしていた時、毎年5万部の部数減だと知らされた。「危機的な数字ではないですか」と委員会で質問したら、論説委員が「ご心配ありません。年5万部減なら800万部がゼロになるまで160年かかりますから」と笑って答えた。最新データでは朝日新聞の発行部数は334万部。私が質問した時点からは年間36万部の部数減である。このままならあと10年でゼロになる計算である。 この致命的な読み違いについて、朝日新聞はどう説明しているのか。私は聴いた覚えがない。自分の足元で起きている事件について、予測もできず、原因の
観世流の能楽を30年近く稽古している。居合と杖道を稽古し始めた頃に、中世発祥の武芸の術理を理解するためには中世人の身体運用を学ぶ必要があると思ったのがきっかけである。禅か茶の湯か能楽か、三つから選ぶことにした。どれでもよかったのだが、身近に能楽を稽古しているゼミ生が何人かいて、彼女たちからチケットをもらって時折能楽堂に通うようになっていた。 小津安二郎の『晩春』の影響も大きかった。当時娘と二人で、海の見える街の高台に暮らし、大学で教え、時々誰も読んでくれない研究論文を書き、古い映画を観て、古い音楽を聴き、日曜日には能楽堂に通う男になっていた。気づいたら『晩春』の曾宮周吉(笠智衆)みたいな中年男になっていたのである。それで、意を決して、観世流の下川宜長先生に就いて仕舞と謡を習うことにした。 中世日本人の身体運用の理を学ぶという目的はどこまで達成されたかわからない。でも、凱風館の門人たちから何
年末に行ったある講演の文字起こしが送られてきた。2時間近くした話のうち、アメリカにかかわる20分くらいのところを切り取った。聴衆はルーツが南北朝鮮にある在日学生たち。 僕たちにメディアから与えられるものって、断片なわけですよね。ストレートニュースがあって、それについての短い解説がありますけども。せいぜい1カ月とか2カ月ぐらいのスパンでしか書かれない。5年とか10年とか、あるいは100年とかいうタイムスパンの中で記事を書く人はいないんです。 皆さんはもう新聞を全く読まなくなってると思いますが、それは仕方がないと思うんです。日本の新聞は、「クオリティー・ペーパー」ではなく、「大衆紙」ですから。大衆紙は、別に物事の本質を伝えることを使命としているわけじゃありません。読者が喜びそうなことを書く。そうすれば部数が出る。そういうビジネスです。 クオリティー・ペーパーというと、イギリスの『ガーディアン』
日中関係の緊張が高まっている。この原稿を書いているのは2015年の12月下旬だが、本が出る頃には時局はまた変わっているだろう。 高市早苗首相の「台湾有事発言」から始まった日中関係の悪化は、中国総領事の暴言、中国人観光客留学生への渡航自粛、水産物の輸入禁止、低レベルの経済制裁、公海上での軍事的示威、空自機へのレーザー照射・・・と段階をふんでエスカレートした。首相が発言を撤回し、失言を謝罪するまで中国の対日圧力はこのまま加圧されてゆくだろう。 中国政府の圧力について「カードを切る」という比喩がよく使われるけれど、実際に行われているのは「カードを切る」というようなデジタルな切り替えではなく、「ボリュームを上げる」というのに近いアナログな加圧である。つまり制裁には無限の選択肢があるという意味である。 今、レアアースは輸出許可が下りるまでこれまでより時間がかかっているそうであるが、これが「アナログな
開学準備中の翠山大学のクラウドファンディング広報誌のために書いた。「もう締め切りが5日も過ぎてます」と言われて、30分ほどで書いたので、文章は雑だし、ネタは『日本辺境論』の二番煎じだけれど、これは繰り返し言っておかなければならないことであると思う。 私たちはシナリオを書き換えられるのか? シナリオを「書き換える」ためには、今の日本の政策決定者たちが、どのような「シナリオ」を書いて、それを実行しているのかを知らなければならない。ところが、誰もそんなシナリオを見たことがないのである。 たしかにあらゆる分野で、政府は政策を実行している。けれども、それはつねに「眼前に山積している難問に必死で最適解で応じている」というスキームでしか語られない。「水道管に穴が開いて水が漏れているので、そこを塞ぐ」というタイプの「被害と応急処置」の文型でしか政策は語られない。何らかの理想を実現するためにこの政策を採用す
―― アメリカの衰退と中国の台頭により、国際秩序が動揺しています。現在の世界をどう見ていますか。 内田 「パクス・アメリカーナ」の終焉です。アメリカは依然として軍事的・経済的な大国ですが、もう「超大国」ではありません。他国より相対的に強いというだけで、世界に冠絶する絶対的な力を持っているわけではない。 すでにアメリカは「帝国の縮小期」に入っています。直近の縮減モデルは大英帝国です。かつて地表の24%を占め「日の沈むことのない」と言われた大英帝国は、第二次大戦後に海外植民地を統治するための軍事的・経済的コストに耐えきれず、インド・パキスタンの独立、アイルランドの英連邦離脱、スエズ危機の軍事介入失敗、アフリカ植民地の独立ドミノ、最後は香港返還に至る「大英帝国の終焉」プロセスを約半世紀かけて踏破することになりました。しかし、帝国の崩壊後も英国は大国として国際政治におけるキープレイヤーの地位を維持
『蛍雪時代』の企画で、現場の先生たちからの質問に答えるということをしている。先方のWebで公開する予定なのだが、大事なことなので、これはブログに期間限定であげておく。 はじめまして。いつも先生の記事を拝見しております。 現在、私は私学の中高で教員をしておりますが、年々、生徒の基礎学力の低下を感じています。その一方で、どうにかして難関大学に合格しようと「楽な方法」を模索する生徒や保護者に、頭を抱えることも少なくありません。 時代が変わっても、苦労を乗り越えた先に志望校が待っている――その過程こそが受験の魅力であり、人として成長するための貴重な登竜門であると、私は考えてきました。 先生は、現在の受験制度や大学入試のあり方をどのようにお考えでしょうか。ご意見を頂戴できましたら幸いです。 現行の受験制度については、これがよいとはまったく思っていません。僕は大学での最後の役職は入試部長でした。どうや
『環球時報』から高市発言についてコメントを求められた。私が「中国の対応はロジカルである。感情的に反発すべきではない」とネットに投稿した記事を読んでのオファーである。 『環球時報』は中国共産党の機関紙である。そこに「高市首相の発言撤回と謝罪と辞任を求める」日本人として寄稿することにはベネフィットとリスクの両方がある。 ベネフィットは中国の相当数の読者に日中の関係正常化と東アジアの平和を願う私の意見を直接伝えることができるということである。リスクは中国共産党の日本批判の「ウェポン」として利用されるかも知れないこと、そして日本国内のネトウヨたちから「中国のスパイ」として罵倒されることである(こちらは確実)。 どのような行動にもベネフィットとリスクがあるが、今回の寄稿依頼については「リスクよりもベネフィットの方が多い」と判断した。 私の記事が日中の緊張緩和に資することがあれば、それで利益を得るのは
『コロナ後の世界』が文庫化される。改題して、収録されている中でいちばん重要と思われる『反知性主義者の肖像』をタイトルにした。文庫版には「まえがき」と「あとがき」と森本あんり先生との対談がボーナストラックでついている。これは「あとがき」。 最後までお読みくださって、ありがとうございました。 ゲラを通読してみて改めて感じたことは、ジャンルもトピックもぜんぜん違う文章を貫いているけれども、すべてに共通する特性があるということでした。それは居着かないということだと思います。少しだけ紙数を頂いたので、最後にちょっとだけその話をさせてください。 「居着き」というのは武道の用語です。具体的には足裏が地面に貼りついて身動きができなくなることですが、広くは「定型的な言葉づかいしかできなくなること」、「常同的なふるまいを反復すること」、「心が硬くなること」を指します。武道では端的に「居着いたら死ぬ」と教えられ
みなさん、こんにちは。内田樹です。 橋本治さんの『「わからない」という方法』の韓国語訳が出ることになりました。その解説という重要な仕事を仰せつかったことを、たいへん光栄に思います。 橋本さんの本は韓国語訳がまだほとんど存在しません。ですから、多くの韓国人読者は「橋本治って、誰?」という感じだと思います。でも橋本さんは日本の文学と思想の領域で、たいへん重要な仕事をされた方です。僕自身も橋本さんのデビュー作『桃尻娘』からの熱烈なファンです。 僕が小林秀雄賞という賞を『私家版・ユダヤ文化論』で受賞した時に、選考委員を代表して選考理由を語ってくれたのが橋本さんでした。30年来の「アイドル」であった橋本さんが僕の書き物について「ここがよかった」と論評してくれたんです。感動しました。橋本さんの挨拶が終わって、笑顔の橋本さんと握手してから、短いお礼のスピーチをしました。その時にこんなことを言ったのを覚え
『クライテリオン』のために、藤井聡、柴山桂太の両先生と「脱移民」を主題に鼎談しました。その中の、僕の冒頭部分の発言だけ収録します。続きは本誌でどうぞ。 僕が「日本は移民に耐えられないだろう」と書いたのは、今の日本は未熟で幼児的な社会なので、他者との共生は不可能だろうと思ったからです。こうした市民的に未熟な社会に移民が入ってくると、すぐに世論は外国人排斥に傾いて、極右政権ができる。僕はそれに対して危機感を感じて、野放図に移民を入れることに反対したんです。 今すでに三百八十万人の外国人が日本で暮らしています。これからもっと増える。人口の一〇%に達するのも時間の問題です。しかし、彼らをどうやって受け入れて、共生するのかについての議論は進んでいない。外国人が増えると社会不安が増大するのは、受け入れ側の日本人の市民的な成熟が足りないからであるというシビアな現実認識が欠如している。 外国人をめぐる議論
石破茂首相が選挙の敗北の責任をとって総裁を辞職する意思を表明した。党内外で「石破おろし」の風が吹き荒れ、党内基盤の脆い首相は、世論の支持がありながら持ちこたえることができなかった。この後の政局がどうなるのか、先行きが見えない。でも、誰が次期総裁になっても、自民党退勢の流れは変わるまい。「解党的危機」はこの後も続く。そして、内閣が失政を犯すたびに党内で「・・・おろし」が始まり、短命な内閣が続くことになる。そして、政権の安定性に対する信頼が失われると、いつの世でも「単純主義者」が前面に出てくる。 「単純主義(simplism)」という政治用語を日本のメディアは使わないが、これは「右/左」「保守/進歩」という区分よりも政治の実相を表す上では適していると私は思う。政治を「善悪・良否」のデジタルな二項対立に還元して理解し、解決策は「敵を叩き潰すこと」だと息巻くのが単純主義である。 しかし、実際の政治
自民党の後継総裁選びでメディアは賑わっているが、私はそれより世界大戦の切迫の方が気になる。 先日、トランプ大統領が国防省(Department of Defense)を「戦争省(Department of War)」に改称するという大統領令を発令した。ヘグセス新戦争長官は「我々は守るだけでなく、攻めに出る。手ぬるい合法性ではなく、最大の殺傷力をもって。政治的な正しさではなく、暴力的な効果を目指す」と強調した。世界的な混乱のさなかに「暴力の効果」に信を置くとアメリカの国防政策のトップが宣言することの意味をこの男はどれくらい理解しているのだろうか。たぶんあまり理解していないと思う。事実、その発令の直後にロシアはドローンでポーランドを攻撃し、イスラエルはカタールでハマス幹部を爆殺した。 「世界はグッドガイとバッドガイが戦っている」という単純な二元論を信じて、知的負荷を軽減したいと願うのはトランプ
朴東燮先生が先日韓国のメディアからインタビューを受けた。その時に「韓国の学界では内田樹思想に関する論文はどのくらい出ているのでしょうか?」と訊かれて、朴先生は「ゼロです。いや、正確に言えば、かつて私は必死に論文を投稿したのですが......一本たりとも掲載されませんでした!」と答えたそうである。そうだろうと思う。別にいいけど。 そのインタビューに触発されて朴先生は韓国の「正統的な」学術に対する疑問について次のような文章を草されたそうである。韓国の大学の事情が知れる貴重な情報なので、ここに採録。 奇妙な人気作家、内田樹 研究者は誰に向かって話しているのか、と問われますと、私はまず耳のかたちを思い浮かべます。耳は目よりも謙虚です。遠くを見渡すことはできませんが、遠くから届いたものを、静かに受け取ることができます。韓国の大学で今日、論文という名の小さな船を出すとき、港で私たちを待っているのはしば
『通販生活』の「トランプ特集」にこんな文章を寄稿した。書いたことを忘れていたら、原稿料の振り込み通知があったので思い出した。一昨日の「人権スコラ」でも似たような話をした。どうして日本の政治学者やジャーナリストは「日米安保廃棄の後に来る先軍政治」について想像力を行使しないのか、よくわからない。 「アメリカ抜きの日本の安全保障について」 というタイトルを書いたけれども、たぶんこのトピックについて真剣に考えている政治家も官僚も政治学者もいないと私は思う。いや、少しは考えたかも知れないけれど「真剣に」は考えていない。 「アメリカ抜き」のというのは日米安保条約が廃棄された「後の」安全保障のことである。戦後80年間日本政府は「日米同盟基軸」だけにすがりついて、それ以外に安全保障政策について計量的に考えたことがなかった。これは「なかった」と断言してよいと思う。 以前、ある高名な政治学者と対談した時に「日
TRANSITという媒体で戦後80年を振り返るという総括的なインタビューを受けた。その中の「憲法について」の部分だけ摘出した。 ──戦後日本は経済成長とともに社会が大きく変化してきました。そうした変化のなかで、戦争への向き合い方や憲法に対する議論は、どのように移り変わってきたとお考えでしょうか。 僕が子どもの頃、親や学校の先生たちはほとんどが戦中派でした。多くが天皇制や国家神道に対しては批判的でした。天皇制は廃止すべきだと広言する大人たちも少なくありませんでした。でも、日本国憲法を悪く言う大人には僕は会ったことがありません。憲法は敗戦国民日本人が唯一誇りを持つことのできるものだったからだと思います。 かつて世界5大国の一角を占め、国際連盟の常任理事国であり、「アジアの盟主」を任じていた帝国が、する必要のない愚かな戦争を始めて、戦争に敗れて帝国は瓦解し、国家主権を失い、アメリカの属国に零落し
朴東燮先生が『日本辺境論』を書架から取り出して読みだしたらとまらなくなって、読み終えてすぐにエッセイを1篇書いてくれた。日本のことにも言及してくれているので、こちらに再録する。 宇宙ステーションの匂い 人間が活動できる空間の中で、おそらく最も「清潔」な場所は、国際宇宙ステーション(ISS)でしょう。地球から送り込まれるすべての物資は、最新技術を駆使して徹底的に除菌され、宇宙飛行士たちは厳格な衛生管理の下で生活しています。そこは、あらゆる汚染から隔離された、純粋性の砦のようです。しかし、実際にISSに滞在した宇宙飛行士たちの証言によると、そこは決して無臭のクリーンルームなどではないと言います。むしろ、「プラスチックの匂い、生ゴミの匂い、そして人々の体臭が混じり合った、決して快適とは言えない匂い」が充満しているというのです。 なぜでしょうか。外部からの微生物の侵入を極限まで遮断した結果、その閉
『コモンの再生』の韓国語訳が出て、訳者の朴東燮先生が「あとがき」を書いてくれた。朴先生、いつもありがとうございます。 内田樹師匠の重要な著作『コモンの再生』の韓国語訳を終え、今、深い感慨とともに訳者あとがきとしてキーボードに向かっている。翻訳という作業は、単に言葉を置き換えることではない。それは、著者の思考の息遣いに耳を澄ませ、その思想が生まれた土壌の匂いを嗅ぎ、その言葉が未来の誰に宛てて書かれたものなのかを、自身の身体を通して感じ取る旅である。この旅を通じて、私は本書が持つ現代社会への射程の長さと、その根底に流れる切実な願いを、改めて痛感することになった。 本書の核心的な主題は、そのタイトルが示す通り「コモン(=公共的なるもの)」のあり方を問い直し、それが失われつつある現代において、いかにしてそれを「再生」するのか、という点にある。読み進める中で、私の脳裏を離れなかったのは、「では、その
―― 現在の政治的混乱はどう見ていますか。 内田 世界中で権威主義が強まり、まともな民主主義体制を維持できている国は減少する一方です。民主主義指数8.0以上の「完全民主主義国家」は世界の15%にまで縮減しました。欠陥民主主義国家(民主主義指数7・0以上)まで含めると世界の42.5%です。残りは強権的な独裁制に近い。 中国やロシアやトルコは権威主義的な体制として大国化していますし、西欧でも排外主義的な極右政党が台頭している。米国のトランプ大統領は立法府・司法府を力で押さえつけて「国王」のような権力をふるっています。英国ではリフォームUK、フランスでは国民連合(旧国民戦線)、ドイツではAfD(ドイツのための選択肢)が勢力を拡大し、イタリアではファシスト党の流れを汲むFDI(イタリアの同胞)のメローニ党首が初の女性首相になりました。 日本の参院選での参政党の急伸も同じ文脈での出来事と見なしてよい
敗戦から80年経った。戦争の生々しい記憶が年ごとに摩滅し、より観念的なものに置き換えられている。「観念的」と言うよりむしろ「妄想的」と言うべきかも知れない。 私は1950年生まれなので、子どもの頃は大人たちが時折戦時中について語るのを聴くことがあった。それはまだ「物語」として編成される以前の、もっと生々しく、筋目の通らない話だったように思う。 その中でも子ども心に一番深く残ったのは父親がわが家に招いた同僚たちと酌み交わしながらふと洩らした「敗けてよかったじゃないか」という一言だった。その言葉が私の記憶に残ったのは、その場にいた男たちが盃を含みながらしんと黙り込んだからだ。子どもには「敗けてよかった」という理路がわからなかった。 私の家は貧しかった。子どもが欲しがるものを母親が買い与えてくれなかった。「どうして買ってくれないの」と私がごねると母は「うちは貧乏だから」と答えた。「どうしてうちは
敗戦後80年が経った。敗戦の記憶が遠ざかるにつれて、敗戦が日本人にもたらした生々しい知見が失われつつある。それは何だろうか。歴史資料を渉猟するには及ばない。私が思い出すのは小津安二郎の映画の中の二つの台詞である。 一つは『彼岸花』で佐分利信がつぶやく言葉。芦ノ湖のほとりで、妻(田中絹代)が戦時中防空壕で一家四人必死に抱き合っていた時を思い出して、往時を懐かしむのを遮って、夫(佐分利信)が吐き捨てるように言った言葉である。「俺はあの時分が一番厭だった。物はないし、つまらん奴が威張っているしねえ。」 もう一つは『秋刀魚の味』。かつての駆逐艦艦長(笠智衆)が戦争を回顧して「負けてよかったじゃないか」と微笑する。それを聴いて一瞬怪訝な顔をしたかつての水兵(加東大介)が「そうですか。そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね。いや、艦長、あんたのことじゃありませんよ」と応じる。 たぶ
先の参議院選挙結果についていくつかの媒体から取材された。それほど人と違うことを言えるわけではない。ただ、排外主義的で好戦的な公約を掲げた政党が急伸したことについては、それが全世界的な傾向であって、日本固有の出来事ではないということを申し上げた。 「よその国も日本と同じように政治が劣化している」と言われて「うれしい」という人はいないだろうが、それでも、この選挙結果が世界史的な地殻変動の一つの露頭であるという解釈は検証する甲斐があると思う。 政治にはいくつかの「層」がある。政治部記者が報道するのは、その表層である。たしかに事実を伝えてはいるのだが、それが「何を意味するのか」については説明してくれない。「何を意味するのか」について書くためには極端な話「遠い遠い昔に、遠い遠い国で」というところから話を始めなければならない。そんな字数は紙面が許してくれない。 今起きている出来事は表層での事実報道だけ
KOTOBAという雑誌に武道的思考について寄稿した。それを再録。 修行は競争ではない 武道の修行というのは「天下無敵」という、どれほど努力しても絶対に到達できない無限消失点のような目標めざし、先達に従って、ただ淡々と稽古を重ねるという生き方のことです。 「天下無敵」という無限に遠い目標をめざす旅程においては、修行者は誰も「五十歩百歩」です。無限の旅程の中で、自分が他の修行者より何キロ先まで行ったとか、単位時間内にどれだけ走破したとか、そんな相対的な優劣を競うことには何の意味もありません。ですから、武道の稽古では修行者同士の間での、勝敗や強弱や遅速や巧拙を競うということをしません。 オリンピック種目にあるような競技武道では勝敗を競います。ですから、あれは「スポーツ」であって、日本の伝統的な「武道」とは違うものです。もちろん「スポーツ」は人間の心身の可能性を高めるすばらしいメソッドですけれども
ある媒体に長いものを寄稿した。かなり特殊な媒体なので目に届かないだろうから、ここに転載する。 「現代教育や技術者および人材育成の問題点・改善点」についての寄稿を求められた。 長く教壇に立ち、自分の道場で門人を育成してきた立場から「教育」については経験的に言えることがある。大学と道場では「管理者」という立場にあったので、「組織論」についてもいささかの私見はある。ただ、教育論も組織論も私が語ってきたのは「かなり変な話」である。私としては経験に裏づけられた知見のつもりでいるけれども、残念ながらどちらについても今の日本社会には同意してくれる人が少ない。だから、以下の文章を読まれる方は、それが少数意見であって、日本社会の常識には登録されていないものであるということをあらかじめご了承願いたい。 学校教育についてまず申し上げたいのは、学校というのは「子どもたちの市民的成熟を支援するための制度」であって、
高校生にオンラインで憲法についての授業をすることになった。せっかくの機会だから、できるだけ高校生がこれまで聴いたことのない話をしようと思った。 論点は一つだけ。日本国憲法の特殊性についてである。 日本国憲法の最大の問題点は、憲法の制定過程でどのような議論があった末にこのような条文が採択されたのかについての国民的合意が存在しないことである。改憲派はGHQの法務官僚がわずかな日数のうちに書き上げて日本に「押し付けた」憲法であるという解釈をする。護憲派は憲法前文の「日本国民は・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する」という文言を根拠に、憲法を起案し制定したのは「日本国民」だという立場を採る。これでは国民的合意の成り立ちようがない。 アメリカ合衆国憲法の制定には独立宣言から11年の歳月を要したが、それは合衆国がどのような国であるべきかについて「建国の父」たちの間で容易に合意が
「親切な家父長制」ということについてこのところ「伝道」をしている。 「家父長制」は今は唾棄すべき「諸悪の根源」として扱われているけれども、家族制度というのは良否善悪の判定に従うものではない。 エマニュエル・トッドによれば、家族関係が「政治的な関係におけるモデルとして機能し、個人が権威に対してもつ関係を定義している」(『世界の多様性』)。 世界のあらゆる家族制度は「自由/権威」と「平等/不平等」という二つの二項対立を組み合わせた四つのモデルのどれかに当てはまる。 日本は直系家族という家族制度であり、これは個人の決断や「政治的に正しいかどうか」では変更することができない。直系家族では、長兄が家督を継ぎ、家にとどまる他の成員については権威者として臨むが、同時に扶養義務を負う。 日本でも最近まではそうだった。でも、少子化と核家族化で、この家族制度は解体した。にもかかわらず家族制度を「政治的な関係の
若い研究者とテクノロジーの未来について対談する機会があった。 お相手してくださったのは法政大学准教授の李舜志さん。少数のプラットフォーマーが市場と思考を支配するディストピア「テクノ封建制」からどうやって離脱して、民主制とコモンを再生させることができるか、そのテクニカルな方法について貴重な知見を伺うことができた。若い人と話すのと老狐の脳にも「キック」が入ってまことに刺激的である。 途中から「どうやってコミューンを立ち上げるか」という実践的な話題になった。これなら私にも組織人として長く生きてきた経験知の蓄積があるので思うところを述べた。 組織を作れば必ず「人より多く働く人」と「人より少なく働く人」が生まれる。これは避けられない。でもこの時に「フリーライダー捜し」をしてはいけない。「集団への貢献以上の分配に与っているのは誰だ?」という問いを立ててはいけない。というのは、フリーライダーを捜し出して
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