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ブラックフライデー
note.com/yonahajun
なんども書いてるように、忙しいからもう関わりたくないのだが、定期的にネットで問題を起こす人文学者の集団がいる。一般には「オープンレターズ」の名で知られるのがそれだ。 で、ぼくはもう学者やめてるので、本来ならスルーして小説でも読んでたいのだが、学者どうしがカルテルのような庇いあいの連合を結び、問題を起こしても握りつぶす例があまりに多い。 かつ、そんな現状を放置すると、有事にしゃしゃり出て "専門家" の肩書で国の政策を誤らせた挙句、失敗しても言い逃げしてお仲間に匿ってもらう、無責任な学者が生まれてしまう。 本来は学者どうしの相互批判によって、そうした事態を反省し、未来の糧とすべきなのだが、彼らがサボってやらないから、代わりに「戦後批評の正嫡」がやっているのだ。マジで、請求書を送りつけたいくらいである。 この度11/27に "やらかした" のは、中部大学教授の玉田敦子氏。オープンレターに署名し
今思うとお互いに強制連行された仲間だよ。ぼくら兵隊と彼女たちは。ぼくは日本軍はある意味で敵だと思っていた。いやおうなしに強制連行されて非人間的に扱われたんだからね。だから、寝る寝ないを別にして、もっとあの人たちと仲よくすればよかったなあと思う。 拙著『平成史』447頁より重引 (強調を付与)これが1997年、発足したばかりの「新しい歴史教科書をつくる会」の公的な賛同人の発言と聞いたら、驚く人が多いだろう。だけど、前にも引用したとおり、端的に事実だ。 初出は、朝日新聞社の論壇誌だった『Ronza』の同年5月号(ヘッダー写真も)。「悲喜こもごもの賛同人事情」と銘打ち、ウヨク的なつくる会への参加が "意外" に思える識者を中心に、その理由を取材したものだ。 引用にいう「彼女たち」とは、もちろんこのとき大問題になっていた、朝鮮半島出身の従軍慰安婦を指す。ヤスパースが言うところの、異なる立場どうしで
高市早苗内閣の発足が、好評だ。10/22の読売新聞によれば、歴代5位の支持率だという。 時代により調査方法が違ったりするので、厳密には単純に比較できないが、細川非自民連立や最初の安倍内閣と同じなら、かなりのブームだ。「初の女性首相」にしては低いとか、因縁はつけられるにせよ、無理がある。 歴史を画した諸内閣に(いまのところ)匹敵する人気は、どこから来たか。答えは明快である。 高市内閣を「支持する」と回答した人の割合を年代別にみると、18~39歳が80%で前回9月調査の15%から急増した。 (中 略) 石破内閣は高齢層からの支持が比較的高かったが、高市内閣では逆に、若年層が支持を先導している。若年層の支持が多い傾向は、最近では第2次安倍内閣の支持動向に近い。 読売新聞、2025.10.23 (強調を付与)そうなのだ。高市氏というとどうしても、復古調で戦前志向の老人に愛される超保守のイメージが強
昨年の米大統領選でトランプに敗れた、カマラ・ハリスが回顧録を刊行して話題だ。もっとも大手のメディアでは、「バイデンを老害としてdisった」みたいなゴシップばかりが採り上げられる。 しかし、ホンモノの言論人が読む箇所は、そこではない。 米国の進歩派メディアPoliticoに、注目すべき記事がある。トランプ陣営に衝かれて重大な敗因になったとされる、トランスジェンダーの問題に関して、ハリスは(誤解を正す、という言い方で)自説を修正したとのことだ。 ハリスは回顧録で、トランスジェンダーの選手が女子スポーツのチームで競技することへの留保(reservations)を表明した。これは、長らく保守派として扱われてきた立場を、すでに表明している何人かの民主党員たちに同調するものだ。 トランプ陣営は選挙戦で、トランスジェンダーの権利に関するハリスの立場を叩き、“Kamala is for they/them
6回分連載した「オープンレター秘録」を、あと1回で完結させたいのだが、時間がとれない。この春に戦後批評の正嫡を継いでしまい、歴史の他に批評の仕事もしなければならず、忙しいのだ。 そんな間に、キャンセルカルチャーの潮目じたいが大きく変わった。未来に目覚めて(woke)現状変革を唱える急進派が、"時代遅れ" と見なす保守派をキャンセルした季節は去り、いまは「人の死を喜ぶ "人非人" のサヨクを、右派が主導して常識人みんなの前に晒し、叩く」のが旬である。 最大の転機は、9/10に米国で起きたチャーリー・カーク射殺事件だ。その背景と反響の双方を、私はすでに詳論したが、それがいま「専門家」のどの記事よりも、的を射た論評になっている。 なぜか。多くの識者は、射殺犯に自分と逆の立場、つまり右や左のレッテルを張ることに終始したが、事件が「キャンセルカルチャーの大反転」を招いた本当の原因は、そこではないから
9/10にトランプ支持の活動家であるチャーリー・カーク氏が射殺されて以来、ネットで論争めいた口論がかまびすしい。ただ、あまりに粗雑な物言いばかり目立つので、情報を整理してみる。 まず、カーク氏は単なるネトウヨではない。設立したTurning Point USAは、反体制に傾きがちな学生層をトランプ支持に切り替えたとされる有力団体である。前に採り上げた『Voice』誌2月号でも、及川順氏がルポしていた。 暗殺後の報道によると、トランプ再選への貢献は、「若者を動員した」という次元に留まらない。ホワイトハウスにとっては "身内" を殺されたも同然で、それが猛烈な反応を呼び起こした。 J・D・バンス副大統領は11日、9・11テロ24周年追悼式の出席日程をキャンセルし、カーク氏の遺体を自らの専用機に乗せてフェニックスに運んだ。運搬にも直接参加した。 カーク氏はバンス氏に上院議員出馬を勧め、またトラン
先月刊行になった荒木優太さんとの対談で、彼の研究対象でもある鶴見俊輔(1922-2015)の話をした。なので紹介するnoteでも触れたけど、いまはもう「誰?」という読者も多いだろう。 1979年生まれのぼく自身、あまり鶴見の記憶はない。朝日新聞系の媒体に、大御所的な扱いでたまに出る「左の偉い人」として、たとえば加藤周一に近いイメージだったけど、没年まで「夕陽妄語」を連載した加藤と比べても、現役ではなく大昔の偉人みたいな印象だった。 むしろこのポスターで知った世代かな (九条の会は2004年発足)ぼくらの世代が「この人すごいらしい」と気づくきっかけは、2004年刊で上野千鶴子・小熊英二の両氏が聞き手となった『戦争が遺したもの』(収録は前年)。戦後知識人と呼ばれる人の秘話が満載で、インタビューとして理想の本のひとつだ。 たとえば、丸山眞男との旧交を語っていわく―― 小熊 その点が丸山眞男さんと
とはいえ正体を掴みにくいのが荒木さんの特徴で、Twitterアカウントは白樺派の「有島武郎」なんですが、13年の最初の著書は共産主義者の「小林多喜二と埴谷雄高」、15年に『群像』の新人賞に入選したのはリベラリズムのジョン・ロールズ論。この人、なにもの? そのロールズの読み方のポイントは、対談を準備していた際の記事にて、先日紹介しました。 今回の対談では、荒木さんの研究歴のなかでロールズと有島がつながる場所(!)を見定めるとともに、いまリベラルの言葉が社会に届かない理由も、そこから掘り下げています。 與那覇 しかしアカデミズムの言葉は、そのままでは大学の外に届かない。広く庶民に届く言葉は、彼らの生活の中から見出さねばというのは、鶴見俊輔らの「戦後知識人」にはイロハのイだったでしょう。 反対にいまSNSで発信する「リベラル論客」には、お前らは俺らの言葉に合わせるのが当然、なぜなら意識が高いのは
もうすぐ80年目の「8.15」だが、悼む日を静かに迎えるには、あまりに政治の情勢が不穏だ。歴史を語るコメントを石破茂氏が出すのかも、彼がいつまで首相なのかもわからない。 確実なのはこの日、今後の政局含みで「これ見よがし」に靖国神社に参拝する政治家が続出することだ。次の自民党総裁がありえる人が、連立入りも想定される野党の人と、境内で立ち話して……みたいな「スクープ」もあるかもしれない。 これまた「はい的中!」としか言いようのない事態だけど、さすがに今回は(笑)をつける気分が起きず、ひたすら憂鬱である。 戦後80年の夏が近い。意外にもそれは、久しぶりに歴史が政治と噛みあって、大きな変化を起こす転機になるかもしれない。 (中 略) 次なる政権の選択と、戦後80年を迎える姿勢の当否が絡みあい、大きなハレーションを起こす可能性はゼロではない。 初出『表現者クライテリオン』5月号、122頁 (算用数字
昨日発売の『潮』9月号で、原武史先生と対談した。病気の前には原さんの団地論をめぐり『史論の復権』で、後には松本清張をテーマにゲンロンカフェで共演して以来、3度目の対話になる。 今回はともに5月に出た、私の『江藤淳と加藤典洋』と原さんの『日本政治思想史』の内容を交錯させながら、いま、江藤と加藤から戦後史をふり返る意味について、考えている。 原さんと加藤さんは、2000~05年にかけて、明治学院大学で同僚だった。学者になる前に、社会人の体験(それも同じ国会図書館)を持つ点も共通する。お二人の交流の秘話も、今回の読みどころなので、ぜひ広く手に取られると嬉しい。 もっとも江藤と加藤はおろか、もう「戦後史」自体どうでもいいよ、という人も多いだろう。でも、待ってほしい。対談では1985年のデビュー作『アメリカの影』に入っている、加藤さんの論考「戦後再見」(初出は前年)に基づいて、プーチンとトランプとネ
議院内閣制かつ二院制の国で、1年足らずのあいだに両院とも選挙で負けたら、退陣するのが民主主義だと思うけど、いまや続投を願うデモまで起きている。辞任後に自民党で「より右」の総裁が選ばれ、選挙で躍進した右派政党と連立されたら困るということのようだ。 さて、一説によると「自民より右」の政党が近年伸びたのは、日本の政治を不安定化させるロシアの工作の結果らしい(笑)。こともあろうに選挙戦の最中に、そうした風説をネットで拡散したのは山本一郎氏だった。 だとすると、選挙の結果を首相は無視しろみたいな「民主主義を壊す」主張を唱える上記のデモにも、やっぱりロシアマネーとか入ってるんですかね。ぜひ、分析を伺いたいところである。 これらのボットアカウント群は……れいわ新選組、国民民主党、くにもり、日本保守党、そして参政党といった、政治的に極端なポジションを取る各政党の主張を広げる役割を担っています。 (中 略)
依頼をいただいた際、私が最初に思いついた連載名は「うおおおお!なヒトビト」という身もふたもないモノだったのですが(汗)、編集部のご提案で、詩情溢れるタイトルになり感謝です。 前号でも「沖縄特集」の一環として、前フリ的に「憲法9条という熱狂」を採り上げましたが、独立したコラムとしてスタートする今回、採り上げるのは太平洋戦争。それでも、日本人は選びましたからね(笑)。 作家の小林信彦さんの回想『一少年の観た〈聖戦〉』を素材に、当時と現在を往復しながら、人が戦争に熱狂するとは、どんな状態かを掘り下げています。映画少年だった小林は真珠湾攻撃のとき8歳、東南アジアの密林を往く日本軍の進撃を、大好きなターザン映画になぞらえていました。 となれば、いま対照すべきは、令和のあの戦争の「銃後」ですよねぇ。拙文を引きますと―― 「戦争のおかげで、ぼくとジャングルが地続きになったのである」。少年の目線では「〈大
7/20の参院選は、一説によれば「ロシアの工作によって」参政党が躍進した(笑)。比例はおろか、自民党の牙城だった地方の選挙区でも保守票に大きく食い込み、当選者も出したのには驚く。プーチンの工作員は、国際政治からずいぶん離れた地域まで、入り込んでいるらしい。 ちなみに日本の不安定化を狙い、ロシアが参政党を伸ばすようSNSに介入していると、7/15にnoteで喧伝した山本一郎氏は、3日後に事実上、自分は自民党のために働いていると明かしている。 議席まで獲られずとも、保守票が割れるだけで自民党は不利になり、野党が漁夫の利を得る。それを止めるには、参政党への投票は「ロシアの思う壺!」とPRすれば効くということだったらしい。 朝からひっきりなしに「もう消化試合だ」という連絡も来ますが、各候補も陣営もまだまだ諦めず必死に戦っているところで、私としても、最後の一分一秒まで全力で頑張ります。 (中 略)
今年の1月に出た『文藝春秋』では、浜崎洋介さんとこんな議論をした。2024年末にルーマニアで極右候補が躍進した大統領選挙を、「ロシアの工作だ」として無効にする事件を受けてのことだ。 浜崎 外国からの政治干渉というのは、政治的には当たり前の話ですよ。だから干渉されないように防衛するんですが、でも、実施された選挙自体を無効にしてしまえば切りがない。それこそ「無限後退」です。 (中 略) 與那覇 証拠を示した上でならよいですが、自分に好ましくない結果を「悪い国のせいだ」と断定するだけなら、一種の陰謀論でしょう。沖縄で非自民の候補が勝ったら「中国の工作だ」と、決めつけるのと変わらない。 『文藝春秋』2025年2月号、196頁 現地でも、ロシアの干渉があったかの 「真相解明は道半ば」とされているわずか半年後、つまりいま、日本でも同じことが始まりつつある。実施中の参院選で、当初ノーマークだった参政党が
日本人は空気に弱い、とよく言われる。とくに有識者を名乗る人ほど口にする。そこには「インテリの私は違うけどね、フフフ…」といった自己卓越化と見下しがあるのだけど、そうした人のほとんどはコロナ以来、率先して空気に追従し続けて、信用を失ってしまった。 そんな軽薄なことになるのも、空気を読ませる母体であるムラ社会のリアリティを、ぼくらが忘れているからだと思う。意識高い感をひけらかし「日本っていまもムラ社会じゃないですかぁ、ホモソーシャルとかぁ…」みたく言う人ほど、マジモンのムラ社会をなにも知らない。 なにも知らないから、自分だけは「克服できた」という気持ちでいても、実は全然そうなっておらず、同じものに躓いてしまうのである。 どうすれば、マジモンに触れられるか。天皇制論の文脈でよく参照される、渡辺清の『砕かれた神』は、その最良の素材でもある。敗戦により、故郷である静岡の農村に戻った海軍復員兵の手記で
今年に入って2回、お会いした相手から「江藤淳のこの文章、いまこそ大事ですよね」と切り出されて、驚いたことがある。ひとりは『朝日新聞』で対談した成田龍一先生で、もうひとりはいまアメリカで取材されている同紙の青山直篤記者だ。 文章とは、江藤の時評で最も有名な「「ごっこ」の世界が終ったとき」。初出は『諸君!』の1970年1月号だった。長らく手に入りにくかったが、いまは文藝春秋が復刊した『一九四六年憲法 その拘束』に収められているので、気軽に読める。 「ごっこの世界」については、ウクライナ戦争を踏まえた新しい読み方を、1月にこのnoteで紹介している。そのぼくも、成田さんも青山さんも、注目するのはまったく同じ一節である。 自己同一性の回復と生存の維持という二つの基本政策は、おたがいに宿命的な二律背反の関係におかれている。 自己回復を実現するためには「米国」の後退を求めなければならず、安全保障のため
発売から約1か月で、『江藤淳と加藤典洋』の増刷が決まった。江藤や加藤の名前を知らない人も増えたいま、まさにみなさんに支えていただいての快挙で、改めてありがとうございます。 このnoteで初めて告知を出したときから、ぼくは一貫して、社会の分断を乗り越えるための本だと書いてきた。江藤と加藤のどちらも、80年前の敗戦の受けとめ方をめぐり、(たとえば)左右のあいだで「人格分裂」のようになった戦後の日本を憂い、その克服を模索したからだ。 そんな江藤と加藤なら、急変する今日の日米関係になにを言っただろうか。浜崎洋介さんと議論するYouTubeの前編が、6/17から公開されている。 加藤典洋は1995年の「敗戦後論」で、護憲派と改憲派がどちらも「われわれ日本人」を代表できず、いがみ合う様子を、ジキル博士とハイド氏の二重人格に喩えた。しかし30年後のいまでは、むしろ米国こそが①ラストベルト派と、②シリコン
2020年の7月に出た雑誌への寄稿を、「コロナでも始まった歴史修正主義」という節タイトルで始めたことがある。同年4~5月の(最初の)緊急事態宣言が明け、その当否の検証が盛んだった頃だ。 池田信夫氏のJBpress(2020.5.15)より統計が示すように、①新型コロナウィルスへの感染は緊急事態宣言の前からピークアウトしており、②宣言の前後で減少のスピードも変わらないので、「みんなが宣言に従って自粛したから」コロナが収束した、という言明は虚偽だ。政治家が述べようが「専門家」が述べようが、そうした過去の粉飾は(悪しき)歴史修正主義にあたる。 ところが現実には、なんら根拠を示さず「国民が自粛に協力してコロナを抑えた」とする理解を安倍晋三首相が表明し、便乗して「民度が高い日本人」を賛美する風潮が生まれている。これは実際のデータではなく、「国民の耳に心地よく響くかどうか」で過去の解釈を決めているわけ
橋迫瑞穂氏をご記憶だろうか。博士号を持つ社会学者で、2021年にはオープンレターに署名し、Twitterアカウントでの発信にも熱心な人物だ。 このnoteを書いている25年4月の時点では、彼女の名前をGoogleで検索すると、トップは本人のresearchmap。次点がAmazonで、3番目に以下の記事がヒットする人でもある。 1年前の上記の記事に画像を貼ったが、橋迫氏はオープンレターへの非難が高まった21年11月、私に対して「精神科の利用者は他人(レター関係者)を批判するな」との趣旨の差別発言を行い、私からの撤回と謝罪の要求も拒否したため、非常勤の研究員として所属する大阪公立大学に、その不当性に対して、質問状を送られることになった。 簡易書留で発送したのは、2024年の7月22日。期限を9月末日に設定したところ、同月20日付の公印を捺した書面で、以下のとおり回答があった(橋迫氏が当時属し
2020年代の日本でTRA(Trans Rights Activists)、すなわち「トランスジェンダー女性は100%の女性であり、女性スペースの利用や女子スポーツへの参加は当然で、違和を唱える行為は差別だ」とする主張が猛威を振るったことは、後世、理解不能な珍事と見なされるだろう。なぜなら海外ではすでに、「ブーム」は退潮に向かっていたからだ。 『情況』2024年夏号のトランスジェンダー特集で、白井聡氏が明快に整理しているが、この問題の「本場」だった英国では2021~23年、保守党政権下でトランスジェンダリズムは公的な形で否定されるようになった。24年に発足した現在の労働党政権も、その転換を受け継いでいる。 イギリスの事例が有名になったのは、同国発のベストセラーである『ハリー・ポッター』シリーズの著者J. K. ローリングが、「トランス差別者」として長く誹謗され、しかし果敢に反駁し続けたこと
3/29の『朝日新聞』夕刊に、歴史学者の成田龍一先生との対談記事が掲載されました。紙面に入りきらなかった部分も補足して、より充実させたweb版(有料)も出ています。 訂正(3月31日 22:00) リンク先を、増補された版に差し替えました。 「コロナ禍でもウクライナでも、安易な答えを求めて歴史を消費する人々が増えた。それを止めなかったのは学界の怠慢だ」 外出が制限されたコロナ禍と20世紀初めのスペイン風邪に共通項を探したり、ロシアのウクライナ侵略に対する妥協を懸念してミュンヘン会談(38年)の対ナチス宥和政策に言及したり……。 そんな議論に與那覇さんは「にわかに歴史談義を始めるのは、問題を単純化し、解決できるふりをしたい人。すぐに解決しない難問だと分かると黙る」。複雑な文脈のつまみ食いやお手軽な歴史の道具化を戒める。 web版より、強調は引用者これ、これ。もっと早くに、この主張が大きく報じ
今年の5月に、『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』という本を出す。副題のとおり戦後80年にあたっての、ぼくの研究成果だ。 江藤と加藤と聞いても、どっちも知らないよ、という人も多いだろう。別に、それでいい。ふたりとも日本の文学と歴史を大事にして、在野と大学の双方を体験した、批評家だった。この説明以上の知識は、特にいらない。 江藤淳は少年期に敗戦が直撃した世代で、生没年でいうと1932~99年。加藤典洋は敗戦直後に生まれた「団塊の世代」の代表で、1948~2019年。 なんでそんな、もうこの世に居ないおじいちゃん2人を主人公に、いま本を書くのか。たとえば、この引用を読んでみてほしい。 問題はその「自己否定」が、実際にはなにか「他者否定」に似た形で進められているように感じられた、という点にあったと思われるのだ。 すなわち、8・15以前の日本を、8・15以後の「新生」日本からすっぱり切り離し、
現地時間の2/28、ホワイトハウスの執務室でトランプ、ヴァンスとゼレンスキーが言い争う様子は、世界に衝撃を与えた。日本でもここまで多くの人が一斉に話題にする海外の映像は、9.11のツインタワー以来、記憶にない。 なぜそんな事態が世界に配信されたか、見立てはおおむね3つに分かれる。 ① トランプとヴァンスが無知で粗暴だから。 ② しかし彼らを怒らせたゼレンスキーも拙劣。 ③ 最初からこの様子を流すことを狙っていた。 現時点で「断定」するのは陰謀論になるが、私は③が正しいと思う。実際に匿名ながらBBCでは、「外交専門家」もこう言っている。 ある外交専門家に言わせると、公の場でのこの口論は計画的なものだったのではないかと一部で疑われている。仕組まれた、政治的なひったくりのようなものだったのではないかと。つまり、ゼレンスキー氏をアメリカの言いなりにさせるか、あるいは次に何が起きても彼のせいにできる
今週末に発売の『表現者クライテリオン』3月号に、フェミニストの柴田英里さんとの対談「「議論しないフェミニズム」はどこへ向かうのか?」の後編が載っています! 前編の紹介はこちらから。 今回も盛り沢山ですが、特に注目なのは、柴田さんに美術家としての哲学を伺うなかで―― 柴田 アイデンティティを構築する上では排除の段階が必要不可欠だと思っていて、「自分は男ではないから女だ」というように、何かを排除しなければカテゴリー化はできないですよね。 そうすると必然的に、自分のアイデンティティを獲得する際に何かを排除することは差別なのかという疑問……が出てきます。 (中 略) 與那覇 ……そう捉えるセンスがあれば、ダークサイドの一切ない「クリーンな社会や人間」を作ろうとする思考からは、本能的に距離が取れる。炎上を招く「問題芸術」は展示を禁じろといったキャンセルカルチャーに、抵抗する基盤にもなりえます。 『平
学問的な歴史に興味を持ったことがあれば、「史料批判」という用語を一度は耳にしているだろう。しかしその意味を正しく知っている人は、実は(日本の)歴史学者も含めてほとんどいない。 史料批判とは、ざっくり言えば「書かれた文言を正確に把握する一方で、その内容を信じてよいのかを、『書かれていないこと』も含めて検証する」営みだ。結果として、文字面には表れていないとんでもない意味が、当該の史料(資料)には秘められていたと判明することもある。 簡略な例を出すと、AがBに宛てて出した書簡に「Cは悪人だ」と書いてあったとしよう。書簡自体は捏造ではなく、文字の翻刻も正確だとする。それでは「Cは悪人だった」とベタに歴史書に書いて、OKだろうか。 そんなことはない。まずA・B・Cの相互の関係を、当該の書簡以外も含めて確認する必要がある。「BはAの上役にあたり、CはAとポストを争っていた」といった史実があった場合、書
先日ぼくも無自覚に使ってしまったが、「精神論」という語を目にして、よい意味にとる人は令和にはいないだろう。 なぜうまくいかないのか? という問いに「気合いが足りないからだ!」としか答えない、根性一辺倒みたいな指導法は、スポーツの現場でも退けられて久しい。いまだに唱える人は昭和の遺物として笑いものになり、パワハラで訴えられる。 個人的には、すごくいい変化だと思ってきた。ところが近年判明したのは、体育会系より「知的」だと自称する学者たちの世界でこそ、まだまだそうしたロジックが健在だという事実である。 国民「どうしてコロナは収まらないんですか?」 専門家「自粛が足りないからです!(キリッ」 国民「どうしてウクライナは勝てないんですか?」 専門家「支援が足りないからです!(キリッ」 2020年からの数年間、ぼくらのメディアを席巻したのはこうした言説ばかりだった。しかも喋るセンモンカも、問答を垂れ流
共同通信に依頼されて、昨年11月刊のエマニュエル・トッド『西洋の敗北』を書評しました。1月8日に配信されたので、そろそろ提携する各紙に載り始めるのではと思います。 ずばり1行目が、 ウクライナはロシアに敗れると、薄々みんなが気づき出している。 で始まる私らしい書評ですが、センモンカ批判は今年から自分の書物にまとめていきますので、今日はトッド氏の著書に則した話を。 専門書と一般書にまたがって、膨大な著作を持つトッドですが、本書ではこれまでのキャリアに照らしてかなり異色の境地に至っています。その点については、先日ご紹介した浜崎洋介さんとの対談でも、こう触れました。 『西洋の敗北』を読んで、現状への悲観ぶりに驚きました。トッドは従来、家族構造や伝統宗教など、容易には覆らない社会の土台を分析の軸に据えてきたのに、同書によれば今日の西洋のどの国を見ても、もはやそうした確たる基盤は「ない」と。個人がア
前回の記事と同じく『文藝春秋』2月号の、第二特集は豪華な識者が世界各国の危機を論じる「崩れゆく国のかたち」。私と浜崎洋介さんの対談「SNS選挙は民主主義なのか」も載っています! 昨年12月12日に配信された文春ウェビナーで、世界中が選挙に揺れた2024年を振り返った内容を、ぎゅっと圧縮しての活字化。歳末の突貫工事を厭わずお骨折りくださった編集部のみなさまに、改めて御礼申し上げます。 それで、以下の冒頭無料動画でも話していますが、自分がいちばん大事と思うのがこちらで―― 與那覇 ……驚くのはその後、ダメだとわかっているはずのハリスをリベラル派が持ち上げたことですよ。しかも、勝負の懸かった米国の民主党員ならともかく、日本の識者がそれをやる。 他にいないので「嘘でもいいからハリスに期待しよう」といった〝希望の切り下げ〟を続ければ、最後は「トランプでなければ誰でもいい」となってしまう。これでは民主
12月25日発売の『正論』2025年2月号に、「斎藤知事再選と「推し選挙」 その必然と危険」を寄稿しています。以下のnoteが好評で、ぜひ年内に出しておきたいと急遽お声がけいただきました。御礼申します。 「推し」の文化ってホントは、民主主義と相性悪いよね、とは、一見すると『正論』と真逆の朝日新聞で2021年の夏、延期された「コロナ禍での東京五輪」を控えた時期から言ってたんですよね(有料記事)。なので、今年の石丸・斎藤ブームを見て思いついたのではありません。 むしろ、私の関心は一貫しています。芸能をはじめとした「プライベートな趣味」の世界なら、推しの言うことが絶対! で生きていく人がいても自由で、それを他人が悪いとまでは言えない。 しかし政治家や、その意思決定に助言する「専門家」といったパブリックな、つまり趣味が違う人にも影響を与えちゃう存在を「推し」てはならない。そうした行為は、明確な悪で
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