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仕事で作る資料は大半が英語なのだが、英語力に自信がないので、このところずっとAIに校正をお願いしている。最初は自分で書いた英文を直してもらっていたが、日本語をはじめから翻訳してもらうほうが早いと途中で気付いた。 でも私だってそれなりに英文を書いてきたわけで、文章によっては英語で書いたほうが楽なこともある。だから最近は、ルー大柴みたいなラフな日本語と英語のちゃんぽんを書いて、端正な英語に書き換えてもらうことが多い。”While the campaign is still ongoing, the result is いまのところいい感じ” みたいな。 しかしこうなってくると、そもそもなぜ私が校正というステップをする必要があるのか? とは思う。私がラフな文章を書いて、読む方はAIが自動的に校正したプロフェッショナルな文章を読めばいいわけじゃん。 というネタは前に「チャット・ジェントリフィケーシ
久米宏が亡くなった。81歳。1985年から2004年まで、ニュースステーションという夜のニュース番組でキャスターを務めた。つまり、私の物心がついたときから、大学に入ってテレビをほぼ観なくなるまで、ずっとニュース番組の顔であった。 もちろん久米宏にはそれ以前(ザ・ベストテンとか)も、それ以降(ラジオとか)もキャリアがあって、特に以前のことは2017年の自叙伝「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」に詳しい。それでも私にとっては、そして恐らく多くの人にとっても、久米宏はニュースステーションの人であった。 考えれば久米宏がニュースステーションを去って20年以上が経っているわけで、少なくとも30歳前後くらいの人までは、久米宏の影響力と言われてもピンと来ないのかもしれない。眼鏡を変えたとか、髭を生やしたとか、一つ一つが話題になっていた頃を思えば、なんとも不思議な感じである。いつの間
5年前に「新年だから人類はHTMLを手打ちしろ」という文章を書いて、わりと読まれた。それから新年が来るたびにシェアするようにしていて、私も読み直す。流行り廃りのあるネットサービスに投稿するのはやめて、HTMLを学んで自分のウェブサイトを作ろう! と、筋の通った著者らしい筋の通ったメッセージである。 ただ一方、たとえば私がいま若者で、なにかネットで発信したい欲があったとして、HTMLを学んでウェブサイトを作るか? というと、いやー、どうなんでしょうね。ふつうの若者はそれなりに野心があるだろうし、ウェブサイトを作ったところで満たされるものなのだろうか。もちろん名刺がわりのウェブサイトはあったほうがいいだろうが、そこで継続的に発信したところでどれくらい効果があるかというと、よく分からない。 何をするのが正解なのかは分からない。でも間違いは分かっていて、たとえばXに投稿するのはみんな本当にもうやめ
ショートショート「彼に関する噂」を書いた。読んでねー。 何もしていないのに急にネットで話題になる人の話があったら面白いかなと思ったのだけど、それは「おれに関する噂」(筒井康隆)そのまんまだなと気付いて、ちょっとだけ視点を変えてみた。あらためて「おれに関する噂」も読んでみたけれど、やっぱり筒井康隆は面白い。 というわけで今週のニュースレターはお休み号です。 あ、「たよりない話の中でも特にたよりない話」は先週末にすべて発送できました。お手元に届いたでしょうか。不具合などあれば早めにお知らせください。もし問題ないようだったら、印刷会社から少し多めに届いた分があるので、これもオンライン販売に回してしまおうと思っています。 しかし、中年になって言うのもなんだが、仕事って難しいなと常々思う。仕事というか、働くことの難しさである。 たとえば、なにか商品を売る仕事をしていたとする。どうやって買ってもらうか
例えばの話だが、ある店の人間が気に食わないからと、Googleマップに星一つのレビューを送る人達がいる。店の商品が良くないとか、接客が悪いとかではなく、店の人がテレビでなにか言ったのが気に食わないという理由でそういうことをするのである。非建設的で愚かなことだと私は思うが、人間は非建設的で愚かなので、そのことに私は驚かない。 私が驚くのは、そういう突発的な批判レビューをそのまま受け入れ、粛々と平均スコアに加味していくGoogleマップのシステムである。もうちょっと考えろよ、と。自慢のAIがあれば、急に増えたレビューの検知くらい出来るでしょうが。おかしなコメントは一時的に非公開にして、中身に意味があるかどうか精査するくらいできないものか。いや、そんな手間がかかるようなことをプラットフォームは何よりも嫌うと、私は嫌というほど知ってるけれど。 レビューのレビューが難しいというなら、別の道もある。と
誰かに頭の良い人と思われたいなら、学歴や職歴や資格や論文や著書などが役立つこともあるだろうが、それはそれとして、日々の言動でも頭の良さを示さなければいけない。しかし現代では、そのために与えられる時間はあまりない。誰も人の話を長く聞こうとしないし、誰も人の文章を140文字以上読もうとはしない。 そういうわけで今日における頭の良さには、瞬発力が必須である。難しく、込み入った問題を、簡潔に分かりやすく伝える。伝えるというか、斬り捨てるのである。テレビやYouTubeで求められる10秒のコメントであれ、新聞やXで求められる数行の解説であれ、同じこと。頭の良さとは、今や問題を斬り捨てる判断のことだと言っても良い。 しかし複雑な問題は、実際のところ、簡単には斬り捨てられないから複雑な問題である。無知な人間ほど問題を簡素化し、分かりやすく斬り捨てるのに対し、問題を熟知している専門家ほど説明が曖昧になって
私は読書が好きだし、本が好きだし、本屋が好きである。電子書籍は場所を取らないし、オンライン書店は便利だが、それでも出来るだけ紙の本を、近場の本屋で買うようにしている。 という言い訳をした上で書くけど、最近なんか街の本屋を救おうみたいな話がやけに多くておかしくないですか。特に経産省は、書店の活性化なんて妙な旗振りをしていて、なにを今更やってるんだろうと思う。 だって、ものすごく冷たく言えば、書店は本と出会う「だけ」の場所でしょう。この世の中から本屋がなくなっても、本と出会う仕組みがあればそれでいい。さらに言えば、本だって、情報を伝えるメディアの一つでしかない。 たとえば、最近は米の値段が上がって、消費者には手が届かないとか、農家にはこれが適正な価格なのだとか、議論になってる。だからといって、伝統ある街の米屋を守れとかいう話は全然聞こえてこない。別に米屋はただの売り場なんだから、スーパーやネッ
明るい日々の話ばかり書いておきたいのだが、ドナルド・トランプの就任式と、イーロン・マスクのナチス式敬礼を見た日は、さすがにがっくり来た。 悲しいのは、世界一の金持ちがあれだけはっきりとナチスの物真似をやっても、大勢の人達がナチス式だと認めようとはしないことだ。メディアでさえ「ナチス式かと指摘も」「ナチス式と物議」「ナチス敬礼のようなポーズ」などと書いている。私はもうマスクがガス室を作っても驚かないけれど、それでもメディアは「ガス室との指摘」とか言うんだろうね。 そういう意味では、変な話だが「あれはナチス式ではない、熱狂的にトランプを支持してみせただけ」という擁護派のほうが筋が通っている。少なくとも、ナチスだと思われたくないという、はっきりとした認識があるわけだから。メディアや多くの人が「ナチス式ともとれる(が、それ以上は考えない)」とお茶を濁している状況はかなり深刻だ。 Redditで引用
数年前、企業の広告やマーケティングの炎上が、毎週のように起きる時期があった。私はそのうちの幾つかの解説を、炎上広告批評というタイトルで書いた。なにしろネタには困らないし、一つ一つの解説だけではなく、数が集まれば分類・対策も整理できて、面白いコンテンツになるのではないかと思ったのである。目指すは令和の天野祐吉。朝日新聞の連載になる日も遠くはない。 (若者向けに解説しておくと、むかし天野祐吉というコラムニストがいて、広告批評という雑誌を出したり、朝日新聞にCM天気図という連載を持ったりしていた) けっきょく数回書いてやめてしまったのは、もちろん生来の飽き性だからというのもあるし、この路線がとても上手く行って炎上広告の専門家になったら嬉しいかというと別に嬉しくないというのもあった。 最近、Doveの広告が炎上して、炎上広告批評を続けていたらどうなっただろうなとちょっと思った。Doveの広告は、美
最近、外食に行ったらメニューはQRコードだからスマホで読み込んで注文しろとか言われるじゃないですか。いいですよ、私は店員と話をしたりするの面倒だと思うほうだから。Googleマップ検索とかに「QRコードでメニュー注文可」の条件を入れて欲しいくらい。 でもQRコードのメニューを使おうとしたら、店の公式LINEアカウントを登録しろとか言われることがある。任意じゃなくて強制で。あれは何なんですか。何様のつもり。私は焼鳥を食べに来ただけで、店と繋がりたくなんてないわけ。 いや、百歩譲って飯が美味くて、雰囲気が良くて、店員の対応も良ければ、店と繋がってもいいかなと思うかもしれない。年に数回はそういう店に出会うこともある。でも最初に繋がることを強制されたら、その時点で台無しです。そういう店には二度と行きたくない。 「私が入れるようなクラブには入りたくない」とグルーチョ・マルクスは言ったが、私は「私と繋
最近カスハラという言葉をよく耳にするようになって、ちょっと嫌な感じである。カスタマー・ハラスメントを略すとカスハラで、それはそうなんだが、仮にもカスタマーをカスって。皮肉にも、カスタマーをカス呼ばわりする語感の悪さ(良さ?)が、カスハラ問題を盛り上げているように思う。 私はカスタマーサポートの仕事をしたことがないから、その現実は分からない。でも私のキャリアは大半がリサーチャーとかコンサルティングとか、仕事を請け負う側だったので、お客さんの無茶なリクエストに対応するという意味で、その苦労は理解しているつもりである。1割の面倒な客の対応に、9割のエネルギーがなくなってしまうあの感じ。 ただ、もうちょっとマクロで考えてみると、カスタマーサポートというのはだいたい企業と消費者の関係であって、原則として前者のほうがずっと強い(B2Bの話はおいておく)。それを弱いサポート現場と強いクレーマーという狭い
ソーシャルメディアを見る時間がどんどん減っている。禁欲的なネット生活を送っているからではなく、ただソーシャルメディアの流れが遅くなって、見るものが減っているのである。 一番わかりやすいのがFacebookで、私はそれなりにフレンドがいるはずなのだけど、ほとんど投稿がない。過疎地である。Facebookは必死になって、フォローしていない人気のページとか所属していないコミュニティの投稿を届けてくれるが、その中身は笑える動画とか美女の写真とかで、チョイス自体が古臭い。 これは四十代・男性という私に最適化されているからだろうか(他の世代の人達はもっと洗練されたコンテンツが流れてくるのだろうか)。それともFacebook全体が古臭いコンテンツに最適化されているのだろうか(他のコンテンツもあるが、笑える動画や美女が一番ウケると判断したのだろうか)。それともFacebookのアルゴリズム自体が古臭くなっ
繊細なので季節の変わり目で体調を崩してしまった。いつもの前向きで生産的な日々とは異なり、なにもやる気が起きず、寝るか、起きてはぼんやりインターネットを眺めるかという、ふだんと360度異なる生活を送った。流れてくるネットの情報も、いつものように大らかな気持ちで受け止められず、やたらとネガティブな感情を抱いてしまい、体調が思考に影響を及ぼすことを実感した。 たとえば、ビヨンセと渋谷で会えて感動したファンの話を読んで「しかし、そこまでビヨンセに思い入れを抱くのもいかがなものか?」みたいな。我ながらひどい。思ったことをすぐ全世界に発信するようなネットサービスが普及していなくて良かった。 巷ではAIがどんどん賢くなっていると聞くが、AIで簡単に置き換えられそうな私の仕事はまだ楽にならず、病み上がりでいつものようにグラフやスライドを作っている。 いつかどこかでちゃんと書きたいと思いながら億劫なのでここ
追悼文に対して良い悪いというのはおかしな話かもしれないが、村上春樹が書いた小澤征爾の追悼文はとても良かった。このように良く書かれた文章をインターネットで読んだのは、久々だったかもしれない。 文章を書くというのは、誰にでもできる。だからインターネットには色々な人が書いた、たくさんの文章がある。しかし、良い文章を書くのはなかなか難しい。バットをスイングすることは誰にでもできても、誰もが大谷になれるわけではない。 具体例を挙げたほうが分かりやすいだろうから、たとえば『旅がつまらなくなる8割の原因は「交通機関を利用すること」だと思う 』という、やけにブックマークされた匿名ダイアリーの記事を挙げるが、これは交通機関の定義が不明でなにを言いたいのか分からない。なぜ電車バスを使うと感動が無いのに、私鉄は使うのか。私は人が良いので、本当はなにを書きたかったのかつい考えてしまうのだが、たぶんこういう質の悪い
年初から「クラフトインターネット」とか「HTMLエネルギー運動」とかいう記事をたて続けに読んだ。世界のねじを巻くブログや、yomoyomoさんの連載でも取り上げられている。要するに、インターネットは今や巨大プラットフォームが支配するようになってしまったが、自分たちの力でインターネットを作り直すことができるのでは、みたいな話だと受け取りました。 私としては、まさにその通りだと思ったのだけど、同時に、数年前のこれも年初に「人類はHTMLを手打ちしろ」とか言ってた人がいなかったか? と思うのであった。年のはじめというのは、そういう原理的なことを考えたくなる時期なのかもしれない。プラットフォームをぶっ壊す! インターネットを取り戻す! メイク・インターネット・グレート・アゲイン! この一段落だけ本筋と関係ないことを書くのだが、カルディとかで面白そうな製品を見つけると、昔は迷った挙句に見送ることが多
過去に何度も書いたように、普段は好んでしんどい小説を読んでしまうのだが、私もたまには軽いものを読みたいなと思うことがある。 しばらく前にKindleで軽そうな本を探していたとき、メレ山メレ子さんの「こいわずらわしい」というエッセイを見つけて買った。普段はあんまり恋愛エッセイの類を読まないのだけれど、メレ山さんはブログやTwitterなどでフォローしていて、面白い文章を書くことを知っていたので、たとえ読んで中身にあまり惹かれなくても、著者へのお布施になるならいいのではないかと考えたのだ。 幸い、「こいわずらわしい」は恋愛エッセイとしてはとても熱の低いもので、なかなか面白かった。離婚経験者特有の醒めた視点で恋愛についてのあれこれが描かれるのだが、最後に新しい彼氏が出来て、少し熱が出てきたところで終わる。いい終わり方である。そのあと、穂村弘との対談が収録されているのだが、穂村弘って男前なんだなと
元旦の地震からネットをまともに見る気がしない。先日ふとThreadsを開いたら、最初に挙がってきたのが、あれは人工地震だったという主張だった。私は表現の自由をほとんど何より尊重すると自負していたのだけど、だんだんその自信がなくなっていく。 Threadsのおすすめがなんだかおかしいのは、私の使い方が悪いせいか、アルゴリズムに日本が見捨てられてるせいかと思っていたけれど、ちょうどInstagramのCEOがおすすめの品質が低いことを謝罪していたので、どうもこれは世界的な問題らしい。少し安心した。安心している場合ではないが。 思えば311はもう13年近く前で、あのころTwitterがインフラとしてずいぶん持ち上げられていたのは、今と比較すると隔世の感がある。Twitter/Xの惨状は言うまでもなく、FacebookもGoogleも胡乱なアルゴリズムや低品質な広告が批判されていたところでこういう
たとえば電車に乗ったら、網棚に夕刊フジが置いてあったとするじゃないですか。さて、手に取って読みますか。 あるいは美容室へ髪を切りに行ったら、美容師が「どうぞー」とアサヒ芸能を渡してきたとするじゃないですか。読みますか。 あるいは街を歩いていたら、街頭で自称経営者という人が、教育はこうあるべきだとか、投資はこうしろとか、政治はどうだとか言っていたとするじゃないですか。話を聞きますか。 かなりバカバカしい例ばかりなのだけど、今のインターネットってそんな感じだよなあと思う。バカバカしい人達のバカバカしい情報に過敏に反応してばかりの日々。 「電車の網棚にあったとして、手に取るか?」というのを網棚テストと名付け、情報源に対する評価方法とするならば、現実の網棚テストはかなり厳しいものになるはずなのに、インターネットではなんでも手にとって見てしまう。それはブラウザーであったりスマホだったりが、それだけし
しばらく使って思ったけど、これはTwitterというよりInstagramだな。テキストも投稿できるようになったInstagram。 よくよく考えてみればTwitterよりInstagramのほうがずっと成功してるわけで、Twitterの経営がアレだからと、サービスをパクって会員を奪う必要はそんなにない。どちらもしばらくMAUを公開していないが、Twitterの会員を半分奪うより、Instagramの会員を20%増やすほうがたぶん効果的なわけである。 ザッカーバーグはThreadsの会員が10億人になる道筋が見えたら収益性を考えると言っている。Twitterには背伸びしても言えない発言で、煽ってるとしか思えない。しばらく我慢の時間だったせいか、Threadsでやけに元気なザッカーバーグを見るのは面白い。 ThreadsはTwitterのコピーではなく、Instagramのリニューアルなのだ
MetaのTwitterことThreadsがローンチされた。普通ならTwitterキラーとでも呼ぶべきなのだろうが、Twitterの悲惨な状態を思えば、むしろ混乱するTwitter民を救いに来たようなタイミングである。 とはいえThreadsは思っていた以上にTwitterと異なる。直接の代替になるかというと、ならないだろう。Metaから見れば、Twitterの不備を直して、Twitterそのものにならないように準備してきたとも言える。そして代替だろうと、代替でなかろうと、人が他のものに時間を費やすようになったら、Twitterの負けなのである。 いずれにせよ後世の歴史家はTwitterが競合に負けたとは言わないだろう。Twitterは自滅しただけなのだから。 Threadsを見ながら思いついたことをだらだらと書いてみる。 今更の話ではあるが、ThreadsはInstagramブランドであ
Twitterが大規模なレイオフを実施して、Twitter上でも多くのTwitter社員がリストラされていたことを報告しているが、そのことを揶揄する人達がたくさんいて、見ていてつらい。Twitter中毒の人達は現状のTwitterにいろいろな不満があるのだろうが、仕事をなくした人達に向かって、よりによってTwitter上で言うことかよと思う。 会社で働いていると、その会社の商品やサービスや方針や戦略や成功や失敗や幹部の発言や失言などについて、同じ会社に所属しているだけで、いろいろと言われることがある。そういう人達は、自分の所属する会社のやることなすこと全てにきっと心から賛同しているんだろう。会社の方針に不満を感じたり、やりたくない仕事を嫌々やったりすることなんてないんでしょう。 会社は誰のものかというと、社員のものではなく、経営者のものでさえなく、株主のものであるというのが、今日の資本主義
「誰もいない森で木が倒れたとき、その木は音を立てたのか?」という有名な哲学的な問いがあるけれど、最近はその反対のことをよく考える。つまり「往来の真ん中で独り言をつぶやいたら、それは独り言なのか?」と。 もちろん往来とはインターネットで、独り言とはTwitterのことです。 Twitterの怒れる人々を見るのがさすがにつらくなってきて、平穏なタイムラインになるよう調整をしばらく試みていたのだが、このごろはそもそもTwitterの一部にいること自体が良くない気がして、とりあえず書き込むのをやめた。(動画編集の練習はしている。Davinci Resolveって無料なのにすごいね)
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