
摂氏32度。カンカン照りの中、日暮里・舎人ライナーの舎人(とねり)駅から歩いて10分ほど。東京都足立区入谷の住宅街にある畑の一角。ビニールハウスと道路の境界に、幅1.2メートルほどの大きさのタイヤが半分地中に埋まった状態で置かれていました。
何の変哲もない古いタイヤに見えますが、これは太平洋戦争末期の1945年5月に足立区内に墜落した米軍の爆撃機「B-29」のタイヤです。2025年8月14日、畑の所有者の親族に許可を得た上で現地を訪れて撮影しました。
畑の所有者である中田文雄さんの娘さんに取材したところ、「戦時中、私の祖父が五右衛門風呂のたき付けにするのに拾ってきたものを、家の建て替えの際に邪魔になるので畑に移動したと聞いています」と話していました。
👉【画像集を見る】東京都足立区の畑に残る墜落したB-29爆撃機のタイヤ
都心部の空襲に使われた機体のタイヤだった
足立区立郷土博物館が発行した『足立風土記稿 地区編4・舎人』によると5月25日の港区や千代田区を目標とした空襲のとき、足立区内でも被害を受け罹災者1361人を出しました。
この日、足立区上空で1機のB-29が、入谷町の田んぼ(現在の足立流通センター付近)に墜落したそうです。足立区内にあった高射砲陣地からの攻撃で撃墜されたとみられています。
東京都足立区立舎人小学校創立百周年記念誌「とねり」には、当時の目撃者の証言が以下のように記載されています。
🗣️「今のトラックターミナルにB29が落ちたんですよ。それが火の玉のようだったね。旋回して落ちてくると、だんだん翼が見えてきて、すごかったですよ。あのときの熱気はすごかったですよ」
このときの残骸の一つが先ほどのタイヤでした。プロペラの一部は現在、足立区郷土博物館が所蔵していますが、担当者によると2025年4月のリニューアルオープン以後は「所蔵スペースが足りなくなった」との理由で展示をしていないそうです。
乗組員の一人は「残虐行為を受けて死亡」とGHQが報告。その経緯とは?
足立区郷土博物館紀要第17号に掲載されたGHQの報告書によると、このB-29「44-60728機」が足立区入谷町に墜落したのは1945年5月26日となっており、ドワイト・H・クナップ少尉が残虐行為を受けて死亡。クナップ少尉以外の乗組員は、全員墜落によって亡くなっているそうです。
「残虐行為」とは何なのか。第二次大戦中の連合軍将兵の捕虜について調査している民間団体「POW研究会」の公式サイトに詳しい記載がありました。
それによると、クナップ少尉はパラシュート降下し、荒川放水路の支流付近に潜伏していましたが、警防団員に発見されたためピストルを発射。1人を殺害し、もう1人も重傷を負って後に死亡しました。警察の捜査により、2日後に東武鉄道・西新井駅の貨車の中に隠れているところを発見され、逮捕されたそうです。
憲兵隊に引き渡されましたが、「殺人を犯した米兵を捕虜として扱う必要なく、厳重に処分せよ」という司令官の判断で、千住新橋の南側の河原で斬首されたそうです。戦後の戦犯裁判で、クナップ少尉の殺害に関わった憲兵隊の幹部らは懲役10年から12年となりましたが、中には戦後に自決した人もいたそうです。
戦後80年を迎える畑に残されたB-29のタイヤ。その背景には、血なまぐさい歴史が潜んでいました。タイヤを撮影していると、上空を大型旅客機が大きな音を立てて飛んで行くのが見えました。80年前であれば、同じように空を行くのは旅客機ではなく、B-29だったのだろうな……と、思いを馳せました。
