
やなせさんが漫画家として不遇の時代に作られた歌だった
『手のひらを太陽に』は実際には、やなせさんが1961年に作詞した童謡です。
放送作家として日本教育テレビ(現:テレビ朝日)の朝のニュースショーの構成をしていたときに、番組内で「今月の歌」として作られたものでした。
劇画ブームの中で、やなせさんが漫画家として思い描いていたような成功をすることができず、悩んでいる時期だったそうです。
1995年の著書『アンパンマンの遺書』(岩波書店)で、やなせさんは以下のように振り返っています。
🗣️ 「この歌を作った時は、ぼくがひどくおちこんでいる時で、仕事はしているもののの目標がはっきりしなかった」
🗣️ 「漫画界は辰巳よしひろが最初に命名した劇画の時代に入り、地殻変動が起きていたが、といって、僕には劇画が描けず、どうしていいのか分からなかった」
🗣️ 「つくった時には、ちっともいい歌とは思わなかったが、僕の代表作となって、故郷には詩碑も建っている」

「アメンボだって」の部分は本来は別の生物だった
『あんぱん』の作中では、『手のひらを太陽に』の作曲者は「いせたくや」となっており、ロックバンド「Mrs. GREEN APPLE」の大森元貴が演じています。
いせたくやは、原稿用紙を見て「漫画みたいな歌詞ですね」と称賛。
すぐに作曲して「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ」と歌い上げる姿が印象的でした。
しかし、この歌詞のアメンボの部分は本来は別の生物だったそうです。
保育業界の月刊誌『ちいさいなかま』2010年8月号に掲載された埼玉大学の岩川直樹教授のエッセイ「アメンボとナメクジ」。その中で、以下のように書かれていました。
🗣️ 「やなせたかしさんの『手のひらを太陽に』といううたの『ミミズだって、オケラだって』の後に続くのは、もとは『アメンボ』ではなく『ナメクジ』だったそうだ」
🗣️ 「それが誰かの意向で変えられたことを、からだとことばの探求者である竹内敏晴さんのレッスンのなかで、初めて聞いた」
🗣️ 「その話を聞いたとき、やなせさんの、そして竹内さんの、きれいごとではない生の公定力のようなものを感じた」
🗣️ 「アメンボにしたからこそ広く歌われたのだろうが、ナメクジのままの方が深さを保てたろう」
