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ブラックフライデー
note.com/yaoshunshyo
高市総理の国会答弁を発端として、日中関係が大変なことになっている。 それらの出来事自体について僕からは言うべきことは特にない。それらについての言説があまりにも溢れているし、僕も文化研究者としては基本的に専門家から学ぶべき立場にいるからだ。 ただ僕にも色々思うところがあるため、文化研究者としての雑感を述べてみたい。どこまで真剣に捉えるかはお任せする。 中国の社会、政治、経済についての言説は、一般、専門を問わず飽和している。特に政治に関しては、誰もが何か言うべきことを持っているかのように積極的に語り、対立する見方を取る人に議論をふっかける。 私が違和感が持ってしまうのもこの点に対してである。中国に関する言説は、社会や経済に関するものも含めて、すべて政治的なものに還元されてしまうのだ。しかも、その際「政治的」とされるのはもっぱら政治的な制度の話のみになる。 きわめて限定された権力者にのみに政治的
『エクリヲ』という批評雑誌で、「〈三体〉から見る現代中国の想像力」という連載をしています。 先日出た十三号で第三回が掲載されています。 〈三体〉は三部作となっているので、この連載の第一回で『三体』を、第二回『三体Ⅱ:黒暗森林』を、そして第三回で『三体Ⅲ:死神永生』を取り上げて分析しました。単なる紹介的な書評ではなく、その内部にある想像力の構造を析出しようと考えました。連載の企画自体も<三体>の邦訳刊行とは関係なしに立てられたものです。 しかしながら、「現代中国の想像力を見る」と言いながら、現代中国に関する事実的な背景に関する論述はほとんどなく、作品に内在する論理の抽象的な分析に終始しています。なぜこのような批評のスタイルを取っているのかについて少し説明したいと思います。 日本における中国SFの翻訳出版のペースが凄まじく、さまざまな作品とアンソロジーが編集され翻訳されて、人気となっています。
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