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syu-m-5151.hatenablog.com
はじめに 数年前の、ある金曜日の夜のことだ。会議は完全な失敗に終わった。会議室を出て、エレベーターのボタンを押しながら、私はこの文章を書こうと決めた。書き上げるまでにずいぶん時間がかかってしまったので、当時の思いとは少し違っているかもしれない。 あの会議で「論理的に正しいことを言ったのか」と問われれば、言った。間違いなく言った。データも揃えた。根拠も示した。反論の余地がないほど、正しいことを言ったはずだった。 だが、誰も動かなかった。 私の発言が終わった瞬間、会議室の空気は凍りついた。誰も何も言わない。ただ、居心地の悪い沈黙が流れ、やがて別の話題へと移っていった。正しいことを言ったはずなのに、私は敗北感を覚えた。 当時、私はシニアエンジニアになったばかりだった。部下はいない。それでも「組織全体の技術選定に責任を持て」と言われる。命令する権限はない。しかし説得しなければならない。予算を握って
はじめに 技術書編を書き終えて、ふと気づいた。あれだけ書いても、まだ語っていない本がある。仕事に直結しない本。読んでも生産性が上がらない本。キャリアに役立つかどうかわからない本。そういう本たちのことを、どこかで書きたいと思っていた。だから、この記事を書いている。 非技術書を読む時間を、どこか後ろめたく感じていた時期があった。エンジニアなんだから技術書を読むべきだ。限られた時間を、仕事に関係ない本に使っていいのか。そんな自問が、頭の片隅にあった。でも、ある時期から考えが変わった。技術書だけ読んでいると、技術書が読めなくなる。視野が狭くなる。発想が硬くなる。同じ問題を、同じ角度からしか見られなくなる。 なぜそうなるのか。技術書は「答え」を求めて読むからだ。設計パターン、ベストプラクティス、トラブルシューティング。明確な課題があって、その解決策を探している。でも非技術書は違う。何を得られるかわか
——「何を作るべきか」を選び、腹を括ることの価値 この記事の核心:AIがコードを書く時代になっても、「何を作るべきか」を選び、腹を括り、うまくいかなければ別の手を打つのは人間の仕事だ。なぜなら、痛みのない決断は決断ではなく計算だから。本稿では、要件定義を「合意形成」として捉え直し、2025年のAIエージェント元年に人間が担うべき役割を考える。 はじめに AIがコードを書く時代になりました。「ファイル監視ツールを作って」と指示すると、動くコードが出てきます。それだけではありません。2025年現在、AIエージェントはファイルを読み、テストを実行し、エラーを修正し、プルリクエストまで作成できます。 便利になった分、私たちの仕事は減るのでしょうか。「作る」作業は確かに減ります。しかし「何を作らせるか」「どこで人間が介入するか」を決める仕事は増えます。AIが「作る」を担うからこそ、「選ぶ」の重みが増
はじめに Rustは速い。だが、Rustで書けば速くなるわけではない。 ある日、APIのレスポンスが突然5秒を超えた。コードを見直してもバグはない。SQLも正しく書けている。途方に暮れながらログを確認すると、1リクエストで300回以上もクエリが発行されていた。原因は、ループ内で著者情報を1件ずつ取得していたこと。これがN+1クエリ問題だ。 見えないものは、直せない。 本記事では、この見落とされがちなN+1クエリ問題の本質と、RustとPostgreSQLを使った5つの解決策を解説する。正直に言うと、どの解決策がベストかは状況による。だからこそ、複数のアプローチを知っておく価値があると私は考えている。 N+1クエリ問題とは 問題のあるコード 本記事では、RustのSQLクライアントライブラリ「sqlx」を使用します。sqlxは型安全なクエリとasync/awaitをネイティブにサポートするラ
はじめに テストを書いていて、奇妙なことに気づいた。合計金額のアサーションが通らない。期待値は10.00なのに、実際の値は9.99999999999983。コードにバグはない。SQLも正しい。では何が問題なのか。調べた結果、犯人は浮動小数点の累積誤差だった。金額カラムにDOUBLE PRECISIONを使っていたのです。 これは「浮動小数点の罠」とも呼ばれる、DB設計やアプリケーションの実装で陥りやすい問題だ。RustとPostgreSQLでWebサービスを構築する際に注意すべき点の1つで、金融システムや科学計算、測定データ、座標、パーセンテージなど、正確な数値が必要なあらゆる場面で問題になります。 2進数と10進数の不一致 コンピュータは2進数で数値を表現します。しかし、私たちが日常使う10進数の多くは2進数で正確に表現できません。 0.1 (10進数) = 0.000110011001
はじめに 「論理削除?deleted_atカラム追加すればいいでしょ」この一言から始まる地獄を、何度見てきただろうか。 最初は簡単に見える。カラムを1つ追加するだけ。しかし、その「簡単さ」こそが罠だ。 論理削除は技術的負債の温床だ。WHERE句への条件追加忘れ、認知コストの増大、テストの複雑化、パフォーマンス劣化。すべては「最初にドメインを考えなかった」ツケである。 しかし現実として、サービスを運用していくと論理削除が必要になる場面は確実に訪れる。 論理削除の本質は、「このレコードは存在するが、存在しないことにしてほしい」という矛盾だ。この矛盾を解消するか、受け入れて安全に管理するか。本記事ではその両方のアプローチを解説する。 なお、私はDBのスペシャリストではないので、ここで紹介する方法が唯一の正解というわけではない。あくまで一つのアプローチとして参考にしてほしい。データベース設計は文脈
タイトルがそのままゴールなのですがダラダラ書きます。 はじめに ある技術書の要約を読んで、「なるほど、この本の主張はこういうことか」と納得した。数ヶ月後、原著を手に取って驚いた。要約で「核心」とされていた部分は、実は本全体の一部に過ぎなかった。著者が本当に伝えたかったことは、要約では一行も触れられていなかったのだ。 技術書、非技術書に限らず、書評や要約を読んでいると、ある違和感に気づく。これは「圧縮」ではなく、本質的に異なるものではないか。 原著者の思考プロセスは消失し、要約者のフィルタリングと優先度により情報が再構成される。同じ本から異なる要約が生まれる。そのコンテキストを知らずに読むと、原典でなく要約者の思想を取り込んでしまう。 これはデジタル圧縮に例えるなら、可逆圧縮ではなく非可逆変換だ。ZIPファイルのように元に戻せる圧縮ではなく、JPEGのように一度変換すれば二度と元には戻らない
はじめに 年末、2025年を振り返る。フォロワーは7倍になった。副業も順調。書籍の執筆や翻訳にも関わった。登壇の依頼も増えた。どこからどう見ても、良い年だったはずだ。 なのに、胸の奥に澱のようなものが溜まっている。 コードは書いた。山ほど書いた。でもそれは、誰かに頼まれたコードだ。お金になるコード。評価されるコード。「これを作ってください」と言われて、「はい」と答えて、作ったコード。自分のためのOSSも、作った。公開もした。そこそこ使われもした。 でも、そこそこ止まりだ。「これが俺の代表作です」と言えるものが、ない。スターはついた。ダウンロードもされた。いくつかは今でも自分で使っている。完走した。自分なりに頑張った。でも、「代表作」と呼べるインパクトには届かなかった。 厄介なことに、nwiizoというアカウントは大きくなってしまった。フォロワーが増えた分、「代表作」のハードルも上がっている
はじめに 金曜日の夜、ベッドの上でこの文章を書き始めている。 先週の土日は何をしていたかと聞かれたら、たぶん「寝てた」と答える。嘘ではない。ベッドにいた時間は長かった。ただ、眠っていたかというと怪しい。スマホを持ったまま横になって、気づいたら夕方だった。そういう二日間だった。 休んだのか、と聞かれると困る。 体は動かしていない。仕事もしていない。だから休んだと言えば休んだのだろう。でも、回復したかというと、していない。月曜の朝を迎える自分は、金曜の夜の自分より確実に疲れている。 何もしていないのに。何もしていないから、かもしれない。 30歳になった。エンジニアとして働いている。在宅勤務というやつだ。2025年、AIエージェントが当たり前になった時代を生きている。 AIは文句を言わない。疲れたとも言わない。24時間動ける。私にはそれができない。コーヒーがないと朝は動けないし、金曜の午後は集中
Claude Codeを使い始めて、様々な発信をしてきました。今回は「Agent Skills」について。これも設定しておくと、Claude Codeがグッと使いやすくなる機能です。 Claude Code の settings.json は設定した方がいい - じゃあ、おうちで学べる Claude Code の CLAUDE.mdは設定した方がいい - じゃあ、おうちで学べる Claude Code の .claude/commands/**.md は設定した方がいい - じゃあ、おうちで学べる Claude CodeのHooksは設定したほうがいい - じゃあ、おうちで学べる Claude CodeのSubagentsは設定したほうがいい - じゃあ、おうちで学べる はじめに 「このプロジェクトではpython-pptxを使ってスライドを作って」「SQLは必ずこのフォーマットで書いて」
はじめに 「自分の環境では動くんだけど...」という言葉を、何度聞いたことがあるだろうか。開発環境の差異は、これまで「手順書」「Docker」「asdf/anyenv」で解決を試みてきたが、いずれも時間経過で破綻する。手順書は陳腐化し、Dockerfileのベースイメージは変わり、asdfは言語ごとにツールが分散する。問題の本質は「環境の固定」ではなく「依存関係の完全な追跡」にあった。これを根本から解決するのが、純粋関数型パッケージマネージャ「Nix」と、その最新機能「Nix Flake」だ。 これらの課題感については Infrastructure as Code, 3rd Edition が詳しく論じており、参考になる。2025年 俺が愛した本たち 技術書編 に入れれていなくて悲しいほどよい書籍である。オライリー・ジャパンさん 自分は翻訳の準備できてます!!! Infrastructur
労働こそが最高の学習だった あなたは最近、「成長している」と感じているだろうか。 かつて、プログラマーにとって、労働こそが最高の学習の場だった。なぜか。労働には「摩擦」があったからだ。エラーが出る。原因がわからない。仮説を立てる。試す。失敗する。また試す。この摩擦の中で、経験が意味に変わっていた。労働は、経験を意味に変換する装置だった。 以前の開発を思い出す。新しいフレームワークを覚えなければならない。エラーと格闘して、ドキュメントを読み漁って、やっと動いたとき。あの達成感は、単なる満足ではなかった。「なぜ動かなかったか」「どう直したか」「次に同じ問題が起きたらどうするか」——この因果の記憶が、脳に刻み込まれていた。困難を乗り越えた記録が、自分の中に残っていた。 Claude Codeで開発している今、コードは書ける。動く。レビューも通る。Claude CodeはAnthropicが提供す
はじめに 深夜2時、本番環境のアラートが鳴り響きます。外部APIがタイムアウトを返し始め、リトライが暴発し、システム全体が連鎖的に停止しました。原因を調べると、外部サービスの一時的な遅延でした。たった数秒の遅延が、なぜシステム全体を止めたのか。答えは単純です。「外部APIが遅延したらどうなるか」を、誰もテストしていなかったからです。 私自身、このような障害を何度か経験してきました。コードをマージした翌朝にSlackが炎上していたこともあります。「なぜこのケースを考えなかったのか」と自分を責めながら、ホットフィックスを書いた夜もあります。そのたびに思います。あのとき、たった1つのテストを書いていれば。 これは「異常系テスト」の不足が引き起こした障害です。正常系のテストは比較的書きやすいです。入力があり、期待する出力があり、それを検証します。しかし、プロダクション環境で本当に問題になるのは異常
はじめに 会議室で誰かが「戦略」と言った瞬間、空気が変わる。 みんなの背筋が伸びる。うなずきが深くなる。誰かがおもむろにホワイトボードの前に立ち、矢印を描き始める。私も「なるほど」という顔をしてみる。眉間にしわを寄せ、顎に手を当て、いかにも深く考えているふうを装う。会議室にいる全員が、突然「戦略を理解している側の人間」になる。 ただ、私は知っている。この部屋にいる何人かは、私と同じことを思っているはずだ。 「で、結局、何をするの?」 言えない。絶対に言えない。「戦略」という言葉が持つ重厚感に押しつぶされて、そんな素朴な疑問は喉の奥に引っ込んでしまう。分かっていないことがバレたら終わりだ。「あいつ、戦略を理解していない」というレッテルを貼られたら、もうこの会議室での発言権はない。だから黙る。黙って、賢そうな顔を続ける。 不思議なのは、誰もが同じ演技をしているように見えることだ。部長も、課長も
この記事は、Vim Advent Calendar 2025 13日目のエントリ記事です。 はじめに VSCodeやJetBrains製品は、膨大な開発リソースを投じて作られた最強の武器だ。補完、デバッグ、Git統合、拡張機能——すべてが高度に洗練されている。多くの開発者にとって、これらを選ぶのは賢明な判断だと思う。 それでも、私は自分で刀を打ちたい。 ただし、誤解のないように言っておくと、名刀を打ちたいわけではない。美術館に飾られるような、完璧な一振りを目指しているわけではない。私が欲しいのは、戦場で戦うための道具だ。多少キズがあってもいい。見栄えが悪くてもいい。自分の手に馴染んで、明日の仕事で使えればそれでいい。 では、なぜ自分で作るのか。正直に言えば、効率の問題ではない。もっと根本的な、性分の問題だ。 思い返すと、私は子供の頃から構造や仕組みがどうしても気になって、分解してしまうクセ
はじめに 正直に言う。この文章を書くかどうか、ずいぶん迷った。「専門家はもっと声を上げるべきだ」という意見に対して、「いや、話さないんですよ」と返すのは、なんだか後ろ向きに見えるかもしれない。諦めているように聞こえるかもしれない。そういう風に受け取られるのは、ちょっと嫌だな、と思った。 でも、書くことにした。なぜなら、「話せばいいじゃん」「振りかざせばいいじゃん」という言葉に、ずっと違和感を抱えてきたからだ。その違和感の正体を、自分なりに言葉にしてみたかった。これは、専門家として組織の中で働いてきた、私個人の経験と考えだ。すべての人に当てはまるとは思わない。でも、同じような経験をしている人が、もしかしたらいるかもしれない。そういう人に届いたらいいな、と思いながら書いている。 「専門性の刃で殴りかかってこい」への違和感 「専門家が『力』をセーブせずに全力で専門性を振り回してもリスペクトされる
はじめに 「今年読んで良かった本」という記事を書こうとしている自分に、ふと気づく。また書くのか。毎年書いている。誰に頼まれたわけでもないのに、12月になると決まってこの作業を始めてしまう。習慣なのか、義務感なのか、それとも単なる自己顕示欲なのか。たぶん、全部だ。 100冊近く読んだ、と書こうとして手が止まる。この数字を出した瞬間、どこかで「すごいですね」と言われたい自分がいる。同時に、「いや、冊数なんて意味ないですから」と予防線を張りたがっている自分もいる。めんどくさい人間だ。でも正直に言えば、100冊読んだことより、1冊を血肉にできた人のほうがよほど偉いと本気で思っている。思っているのに、冊数を書いてしまう。そういう矛盾を抱えたまま、この文章を書いている。 AIに聞けば答えは返ってくる。2025年はそういう年だった。コードを書いてもらい、設計を相談し、ドキュメントを要約させた。便利だ。本
集中できなくなった 何かがおかしい。 AIエージェントを使い始めてから、自分が壊れていくのを感じていた。以前は4〜5時間ぶっ通しで集中できた。コードを書き始めたら、気づいたら夕方になっていた。あの没入感。あの充実感。それが、完全に消えた。 30分も持たない。いや、10分だろうか。1つの作業に没頭しようとしても、すぐに別の作業に引き戻される。戻ってきたら、さっき何をしていたか忘れている。頭の中が常にざわついている。自分の脳が、自分のものではなくなっていく感覚があった。 最初は自分を責めた。集中力が落ちたのは、体力のせいか。年齢のせいか。怠けているのか。スマホの見すぎか。でも違った。同じように苦しんでいる人が、周りにもいた。 きっと、最初からうまく馴染める人もいるのだろう。複数のエージェントを同時に回しながら、涼しい顔で成果を出せる人。元々、全体を俯瞰しながら動くのが得意な司令官タイプ。私は違
はじめに 私たちは「実力」という言葉を履き違えています。 特に私がそうでした。様々な人の助力で得た結果、たまたま条件が揃って出せた最高到達点を「自分の実力」だと勘違いしていました。そして、その水準に届かない日々の自分を見て、「なんでもっとできないんだ」と追い込んでいました。結果は散々なものでした。心身ともに疲弊し、パフォーマンスはさらに落ち、悪循環に陥りました。しかし、その経験から大きな学びもありました。 ゾーンに入り、神がかった速度でコードを書く自分。難解なバグを一瞬で特定する自分。私たちは、あの奇跡的な瞬間を「自分の実力」だと信じ、そうでない日を「調子が悪かった」と言い訳します。 逆です。 何もやる気が起きず、頭も回らず、ただ惰性でキーボードを叩いている日。その泥のような日に絞り出したアウトプット。それこそが、紛れもない私の「実力」です。 絶好調のときの成果は、再現性のない「運」や「上
この記事は、whywaita Advent Calendar 2025 8日目のエントリ記事です。 whywaita Advent Calendar 10周年ということで、自分もwhywaitaとの出会いと10年という節目を掛けて何か書きたいと考えたのですが、うまいネタが思いつかず。とはいえ、whywaitaと出会ったきっかけがお祭り的な技術イベントだったので、今回は技術イベントの「お祭り性」について語っていきます。 思い返すと、技術コミュニティとの出会いは、いつもお祭りのようでした。見知らぬ人と技術の話で盛り上がり、気づいたらとんでもない深い時間になっていた懇親会。準備段階から当日まで、ワクワクしながら作り上げた勉強会。あの空気感こそが、私をエンジニアとして成長させてくれた原動力でもありました。 そんな私が最近読んで、考えさせられた記事があります。 はじめに Sakutaroさんが書かれ
この記事は、Rust Advent Calendar 2025 6日目のエントリ記事です。 はじめに 「それって、○○みたいなものですよね」 私は、この言葉に何度救われてきただろう。新しい概念を理解するとき。誰かに説明するとき。問題を解決するとき。類推は、私の思考の基盤だった。いや、今でも基盤だ。ただ、その基盤が思ったほど頑丈ではなかったことを、私は何度も思い知らされてきた。 Rustを学び始めた頃の話だ。Rustは、プログラミング言語の1つだ。安全で高速なプログラムを書けることで知られている。私はRustの公式教科書「The Rust Programming Language」を読んでいた。所有権の章に差し掛かったとき、こんな説明に出会った。 Rustには「所有権(ownership)」という独特の概念がある。少し専門的な話になるが、プログラムを書くとき、データはコンピュータの「メモリ」
はじめに 「おい、がんばるな」という言葉を書いた。あの文章を読み返して、私は少し後悔している。 syu-m-5151.hatenablog.com 言いたいことは分かる。がむしゃらに頑張ることが思考停止になる。忙しさが逃避になる。持続可能性が大事だ。それは正しい。私も経験してきたことだ。でも、あの文章には、書かなかったことがある。書けなかったことがある。「頑張らなくていい」という言葉が、どれほど危険な響きを持っているか。その言葉が、どれほど簡単に、怠惰の免罪符になってしまうか。 私は「頑張るな」と言った。でも、それを読んだ人の中に、こう受け取った人がいるだろう。「そうか、頑張らなくていいんだ」「無理しなくていいんだ」「今のままでいいんだ」と。もしそう受け取った人がいたら、それは私の責任だ。だから、今日は別のことを書く。 「おい、努力しろ」 これは、あの文章への補足ではない。あの文章への反論
はじめに 先日、久しぶりに会った友人に言われた。 「なんか最近、顔が疲れてない?」と。私は「まあ、仕事が忙しくて」と答えた。友人は「頑張ってるんだね」と言って、ビールを一口飲んだ。 頑張ってる。 その言葉を聞いた瞬間、なぜか胸のあたりがざわついた。褒められているはずなのに、全然嬉しくない。むしろ、何かを見透かされたような、居心地の悪さがあった。 帰り道、ずっと考えていた。私は確かに頑張っている。毎日遅くまで働いているし、休日も勉強しているし、やるべきことは山ほどある。でも、だから何なんだろう。頑張っているから、何なんだ。 30歳になった。 節目だとか、大人になったとか、そういう感慨は特にない。ただ、20代の頃とは何かが決定的に違う。何が違うのか、最初はよく分からなかった。体力が落ちたとか、徹夜ができなくなったとか、そういう分かりやすい話でもない。 しばらく考えて、ようやく気づいた。 「頑張
この記事は、3-shake Advent Calendar 2025 2日目のエントリ記事です。 はじめに ブログを書いては直し、また直す。同じ文章を何度も触っていると、客観的な判断ができなくなってくる。「これで本当に伝わるのか?」という疑問だけが残る。 コードにはレビューがあり、デザインには批評がある。しかし、技術ブログには明確な基準がない。その不安を解消するために、最初は自分の文章を評価する「プロンプト」を作って運用していた。防御力、思考整理力、実践応用性など、6つの観点でAIに評価させるのだ。 だが、すぐに問題にぶつかった。「面倒」なのだ。記事を書くたびにプロンプトを開き、貼り付け、結果を待つ。この手動のひと手間があるだけで、次第に「今日はまあいいか」とサボるようになり、せっかくの基準も形骸化していった。 だから、環境ごと変えることにした。 生成AIのエージェント機能を使い、ブログレ
はじめに 「Just use Postgres」という言葉を初めて聞いたのは、いつだったか覚えていません。Twitter か Hacker News か、あるいは社内の Slack か。どこで聞いたにせよ、私の反応は決まっていました。「また極端なことを言う人がいる」と。 「それ、〇〇でもできますよ」——この手のフレーズはもう100回は聞いてきました。そして大抵の場合、その〇〇は専用ツールに置き換えられていきます。技術が専門分化していくのは自然な流れです。 全文検索なら Elasticsearch。時系列データなら InfluxDB。メッセージキューなら RabbitMQ。それぞれの分野に専門家がいて、専用のソリューションがあって、ベストプラクティスがあります。「とりあえず Postgres で」なんて、それは思考停止ではないか、と。でも、心のどこかで気になっていたんです。 www.mann
はじめに 私は本を読むのが好きです。朝、コーヒーを淹れて、ソファに座って、ページを開く。その時間が好きです。物語の中に入り込んで、登場人物の人生を追いかけ、著者の思考を辿り、知らない世界を覗き見る。ただ、それが楽しいんです。 でも、誰かに「最近、何か読んだ?」と聞かれて、タイトルを答えると、必ず次の質問が来ます。「へえ、面白かった? 何か学びはあった?」あるいは、こんな質問が来ます。「その本、どういうジャンル? 自己啓発系?ノンフィクション?」違和感があります。 映画を見たあと、「何か学びはあった?」なんて聞かれません。音楽を聴いたあと、「それ、自己啓発系?」なんて聞かれません。ゲームをクリアしたあと、「成長できた?」なんて聞かれません。でも、本だけは違います。読書には、常に「目的」が求められます。「成長のため」「知識を得るため」「キャリアアップのため」。ただ楽しいから読む、では許されない
はじめに 会議室の空気が、徐々に重くなっていくのを感じました。「この設計、拡張性に問題があります」。若手エンジニアのAが言いました。声には確信がありました。「いや、今の要件を考えれば、これが最適だよ」。ベテランのBが即座に返します。口調は穏やかですが、譲る気配はありません。「でも、将来的に機能追加があったときに...」「将来のことばかり考えていたら、今のリリースが間に合わない」二人の言葉は交差しますが、交わりません。言葉のキャッチボールに見えて、実は2つのボールが空中でぶつかり合っているだけです。ボールは地面に落ち、誰も拾いません。 私は黙って二人を見ていました。どちらの言い分も分かります。Aは技術的負債を恐れています。Bは納期のプレッシャーを感じています。どちらも正しく、どちらも間違っていません。何かが決定的に欠けています。対話が、ありません。二人は話しています。言葉を交わしています。し
はじめに 数年前、私は大きなプロジェクトに取り組んでいました。SREとして、メール配信システムの大規模な障害に直面していました。毎日数百万通のメールを処理するシステムが、突然、配信遅延を起こし始めました。遅延は徐々に悪化し、やがてメールが数時間も届かなくなりました。ユーザーからの問い合わせが殺到しました。経営層からのプレッシャーも増していきました。 いくら調べても原因が分かりません。データベースのクエリを最適化しました。キャッシュを増やしました。サーバーのスペックを上げました。でも、問題は解決しませんでした。設定を何度見直しても、どこがおかしいのか分かりません。 数日間、問題と向き合いました。さまざまな知識を集めました。組み合わせを試しました。でも、決定的な答えは見つかりませんでした。疲れて、その日は諦めて寝ることにしました。 ベッドに入って、目を閉じました。眠れませんでした。頭の中で、断
はじめに 「言語化」という言葉を聞くたびに、私は少しだけ居心地が悪くなる。この感覚に初めて気づいたのは、数年前の、ある夏の午後だった。後輩エンジニアとの1on1で、私は彼にコードレビューのコツを教えようとしていた。モニターに映るコードを指差しながら、「このコードの何が良くないか、分かる?」と聞いた。彼は首を横に振った。私は言葉を探した。「ここの設計が、将来の拡張性を損なっている」「この命名は意図が伝わりにくい」「ここのロジックは複雑すぎる」。彼は真面目にメモを取った。頷いた。理解したような表情をした。でも、次のレビューでも、同じ問題が繰り返された。その次も。さらにその次も。私は、教え方が下手なのだと思った。説明が足りないのだと思った。もっと丁寧に、もっと具体的に、もっと分かりやすく。そう思って、さらに言葉を重ねた。 三ヶ月が過ぎた。ある日、彼は変わっていた。私が指摘していたような問題を、自
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