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ブラックフライデー
anond.hatelabo.jp
いやさ、素数って「1とその数自身でしか割り切れない数」じゃん?で、具体例として挙げられるのが3、5、7、11みたいな奇数ばっかりなわけ。 そんな中で堂々と素数面してる「2」、お前だけ偶数じゃん。ずるくない? だってさ、素数の条件として「2で割り切れちゃダメ」っていうのが暗黙の了解としてあるわけじゃん。素数判定するときも「まず2で割れるかチェックして、割れたら素数じゃない」ってやるわけで。なのに2だけは「俺は2で割り切れるけど素数です」って顔してんの。いや、お前が基準やんけ。 しかも「最小の素数」とか「唯一の偶数の素数」とか、やたら特別扱いされてるし。お前のせいで「素数は全部奇数」っていうシンプルな理解ができないんだよ。数学のテストでも「2は例外として」みたいな注釈入れなきゃいけない。めんどくさい。 3以降の素数たちは、ちゃんと「奇数」っていう仲間意識を持って素数やってんのに、2だけ一人で偶
脚本 押井守 演出 富野由悠季 美術監督 新海誠 製作進行 宮崎駿
三連休だけど何もしてこなかった。この三連休も、これまでの人生も。 至急面白い映画を教えて。今日ぐらいは、有意義なものにしたいんだ
例えば「昔超好きだったゲームシリーズ」にリメイクが出るとするじゃん 俺の感覚では「とにかく忘れないでいてくれてありがとう」とか「新作への希望が見えてきた」とかになるんだよ 別にこれって変な感覚じゃなくてわりと皆抱く感想だと思うんだ でも「昔のゲーマー」に関してはめちゃくちゃアラ探しに必死だったり、その一方でその買ったゲームに情熱を傾けられてない印象があるんだよ しかも、修辞や例えを沢山使って、時には自分が小学生だった頃のゲームの思い出みたいな話までしてさ で、そんな風に浸った上で何を書くかといえば、自分がどんな風にゲームを否定したか、だよ 「老眼で目をしょぼしょぼさせながら若い頃を思い出してプレイしましたが、すぐに辞めましたw」 みたいなさ マジでさ、こいつらってぶっちゃけゲームじゃなくて「自分の思い出」が好きなだけだよな? 「昔はキャラに声が付いてなかったのに、今はボイスが実装されている
「社会人になってから新しく人と繋がるのって難しいよね」ってよく言われてるし自分で実感もしてるので、新しく人と繋がるべく行動してみた記録。 noteにちまちま書こうかと思ったけどダルくなってきたので、ここではざっと書きたい。 私・30歳 ・無職(半年前に離職、公務員試験に向けて勉強中) ・既婚 ・酒好き(詳しくないけど飲むのが好き) やったこと・バーに行く ・ジモティ―で人と会う ・カフェ会に行く ・LINEオプチャに入る 大きな目標・知らない人と交流し、その場だけでも楽しい時間を過ごす ついでの目標・気が合った人がいれば継続的に関係を作って「友達」になれたらうれしい 気を付けること・既婚なので、男性と1対1の状況は避ける。そのため、できるだけ既婚を開示する。 記録 ■バーに行く結論が早いけどこれが1番私に合ってた。 まずバーテンダーがちょうどよい距離感で接してくれて、人と話したい欲が満たさ
猫に至る病
anond:20251124000433 大体の国民にとって「アメリカが台湾有事で攻撃を受けた時に日本はどう立ち振舞うのかを明言する必要があったか」については議論の余地があれど、同盟国が攻撃されたら日本も防衛に周るというのは失言とは見做されてないのですよ。 それを左翼が「撤回が必要」だとか「これは宣戦布告で中国へ戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの。 中国と関係が悪化したことで経済影響は多少はある。一般人もそれは問題視してる。 一方で、脅して言うことを聞かせようという国に依存するのも間違いだからマーケット規模がデカくても依存しすぎないようにしていこうという転換期にしていくという言い分もわかるから「ならしゃーない」くらいに国民も多少納得してるっていう話だよ。 お前ら、自分たちの主張がファンタジーの世界にあることを自覚してよ。日本中で誰
会話文が連続するときに、話者の違いを示すためだけに二重カッコを使うのって、一般的な手法なの? 「それって、つまり…」 『こういう感じのやつ』 「ふむふむ」 『わかった?』 (架空の例文) 二重カッコは、電話とかメールとかモノローグとか、通常の会話でないことを表す時に使うものだと思ってたので、初めて見た時には違和感があった 一人だけ使ってるならその人の癖だが、最近、立て続けに複数見かけたので、どこかに震源地があるんだろうか
アマゾンでブラックフライデー始まったけどいつも何も買わずに終わってしまう 専用ページ開いても、適当に眺めて「うーん……別に欲しいものないな……」で終わっちゃうんだけどみんな何買ってるんだ イヤホンが安いだのなんだのでXとかで盛り上がってたりするけど、この手のは大体「もう持ってるし別に買い替える必要もないしな……」ってのばっかりなんだよな ……と、ここまで書いた辺りで消耗品を買えばいいんだと思い立ったわけだけど消耗品でこれは買っとけ!ってやつある?
男飯 → 手抜きやシンプルさを「男らしさ」として称賛 漢気 → 無策で衝動的な勇気を「男の美徳」として持ち上げ 男のロマン → 非効率や非現実的な行動を「男ならではの」美徳として正当化 と、総じてマイナス要素を美徳化してくる 対して女となると、マイナス要素を強調してネガティブに描く 女の贅沢 → 湯水のように「無駄に」金を使う 女の直感 → 「男の悪いこと」だけ瞬時に見抜く 女の秘密 → 秘密にして「悪巧み」
新しい音楽を聴いて「これは好き!」「あまりピンとこない」と感じるのは自由なのだが、政治・経済・社会を語る時に、音楽と同じような感覚でお気持ちを発するのは違和感がある。 自分自身の反応を観察しても、ニュースを見た時に、いわば条件反射的に感情が動くことがある。 なぜかと考えると、大体は「事実認識が足りないから」「判断するだけの情報を持っていないから」ということになる。 物事を判断するには情報が必要で、それが足りなければ「勘」、それまでに蓄積してきた関連する物事から想起して、イメージで判断するという方法しか無くなる。 その直感をブーストするのが感情で、特に怒りや正義感、嫌悪感などが、ただの勘を正しさに錯覚させる。 これを避けるには、まず感情を横に置いておいて、事実の整理を行うことが必要だろう。 たとえば、「現政権が防衛費の増額を進めようとしている」というニュースがあり、「よく言った!」または「い
子どもが高校生になったら教えるんだ! 「高校では必ず下駄箱で女の子に『おはよう』って声を掛けるんだ」って あいさつしたら下駄箱〜教室まで自然と会話できて、下校時の帰り道も自然と会話するきっかけ作れて、彼女づくり余裕だってことを
親も慣れ親しんでいた出版社のものがいいと思って、かつて買い与えられていた図鑑の最新版は今どんなかな… 今の所絵本みたいにかわいい挿絵が多く、漢字も少なめで読みやすそうな「プレNEO」っていう未就学児から対象のシリーズがあって気になっている。 物事の働きだけでなく、ひらがなもついでにどんどん覚えてくれるかな。 【追記】 沢山のコメントをありがとうございます。 きょうの昼までにあったアドバイスには全部目を通しました。 今の所、皆さんの意見を取り入れて検討しているのは… 一人でもサクッと手に取れそうな軽めの「はじめてずかん」のようなもの、もしくは、最初に元増田が気になっていた「プレNEO」の中で身近かつ実用的なトピック(不思議 or 生活図鑑)を候補に入れている買い与えるという考え方をやめ、まず本屋や図書館に行き、子に実物を見てもらってからにする最終的には、親である元増田と子供の両方ともが興味を
「清潔感出せばモテるよ!」ってよく言われるけどさ、アドバイスの内容をよーく聞くと、どう考えても「清潔かどうか」なんて関係ないんだよな。 だって出てくるアドバイスって、 ・痩せろ ・髪型を整えろ ・肌を綺麗にしろ ・シワのない服を着ろ ・似合う服を選べ ・姿勢を良くしろ …こういうのばっかじゃん? これ全部まとめて言い換えると「顔面・体型・服・雰囲気をトータルで美しく整えろ」ってことで、要するに外見をレベルアップしろって意味だよな。 どこに「清潔」って要素あるんだよって話。 風呂入ってて、服洗濯して、歯磨いてても、顔がデカいとかファッションセンス死んでるとか、めちゃ太ってるとかだと「清潔感がない」って言われるわけでしょ? それもう単に「君のビジュアルが弱い」って言ってるのをごまかしてるだけじゃん。 でさ、このおかしいところを指摘すると必ず現れるんだよ。 「まずは風呂入れよ」 「服洗えよ」 「
魯山人と亀仙人
やっぱり高市だと日本終わっちゃう。戦争行きたくない。バカと一緒に沈むのは御免。あんな奴が国の首班してて一緒の国の括りで見られたくないよ。中国とそこそこ仲良くしてほしい。職場の人は良い人だし、観光客も良い人多い。ヤバい人の割合が高いだけで、同じ人間なんだって感じるし。 政策何も出来ないし失言まみれのポピュリスト高市の支持率が高い時点で民主主義って仕組みが崩壊してるよ。 今の周りの大多数は選挙を国を良くするというより人気投票だと思ってるよ。AKBの人気総選挙が知名度を得て以来そんな感じする。 もし日本がどうしようもなくなっちゃう前に高市を信奉する側と石破信奉する側で住むところを分けてほしいよ。スコットランドみたいにさ、北海道だけでもいいから。
ストーリー・キャラクター・脚本については他の増田達が書いているのでほえーなるほどーとしか言えないアホなんですけど見た感じ、絵作りというか演出というかの話書かせて。マジで他に似た画面のアニメ作品ないね。 カットの6割くらい(体感だと8割くらい)が初心者カメラマン写真の日の丸構図というか、左右対称で真ん中にメインとなるキャラクターが一人いるのよ。アップだったりバストショットだったり全身像だったり。キャラクターがいない時はトンネル(通路)が真ん中にあったり、棺桶が真ん中にあったり、矢。あとはときどき二人並んで左右対称ダブル日の丸構図(マスターカードのマークか)。 なんで実際より体感の比が上かっていうと、キメのカット…真ん中に○○(顔、キャラ、等等)にあるのが長いから印象に残るのよ。動かないから。(動いているカットでもキャラクターが真ん中にいてこっち向かって走ってくる等なので、全体の構図としては固
子供がアンパンマンを見るくらいの歳になったから一緒に見てるけど、俺の中であったアンパンマンと結構イメージが違う。 俺が見ていたのはメロンパンナちゃんが初登場していた辺りだからもう30年前だし、そこから作風が変わったのか、元々そんな感じだったのか。 アンパンマンは意外と顔のアンパンを与えないアンパンマンと言えば、お腹を空かせている人に自分の顔のパンを差し出す自己犠牲のヒーローだというイメージがあるけども、アニメを見てると意外と上げるシーンは少ない。2年分くらい見ていても、たぶん5回くらいしかなかったと思う。昔見てた時はもっと頻繁に上げていたり、なんなら上げ過ぎて顔が無くなり胴体だけになっているようなシーンもあった気がする。その状態でも喋るから、どこから喋ってるんだよと思ったもんで。 でもまあこれは話の都合が大きいと思うけどね。お腹を空かせたキャラがいると、何らかの食べ物をモチーフにしたゲスト
一、ゼロ度の衣服 ユニクロが提示するのは、モードではない。「ライフウェア」というトートロジー的な命名が示す通り、それは空気や水のように、生存にとって自明なものとして振る舞おうとする。フリース、ヒートテック、ウルトラライトダウン。これらはもはや衣服というよりも、都市生活を送るための「装備」である。 ここにあるのは「意味の脱色」だ。ユニクロは、衣服から装飾、階級、そして個性を剥ぎ取り、「ベーシック」という名の漂白された平地へと我々を誘う。しかし、騙されてはならない。この「記号の不在」こそが、現代日本における最も強力な記号なのである。それは「私は何も主張しない」という、極めて政治的な主張だ。 二、新たな国民服と国家の共犯 かつて戦時下の日本には「国民服」が存在したが、現代においてその役割を継承したのは、皮肉にも国家権力ではなく、一民間企業であった。しかし、その背後には奇妙な共犯関係が透けて見える
まず言わせてくれ。 魔女をやめた魔女をもう一度見てこい。と。 お前らは思い出の中の細田を美化しすぎている。 確かにウォーゲームはサマウォより面白いが、それはデジモンの持つコンテンツ力のおかげでしかない。 作中で究極体まで大事に育てた上で初のジョグレス進化、それも究極体を超える究極体……最高に決まってるだろ? 細田の演出は上手いんだろうが、最高なのは与えられた食材だ。 おジャ魔女やウテナもそうだ。 美味しい題材を受け取っている。 細田は演出家として天才だったのかも知れんが、社内政治の天才でもあったのではないか? そんな細田が監督をやることに「演出の才能を捨てた」と罵る奴らのなんと多いことか。 「政治の才能を活かした」という見方はできないもんかねえ。 まあ、持てる才能に甘えた結果として不得手なものにまで深入りしたのは駄目だったがなあ。 だかなぁ、そもそもとして今の世の中は監督作品に監督の中身を
スカーレット見てない、時かけ~バケモノまでは見た人間の意見 サマーウォーズ見たとき、面白くはあったけど、描かれてる家族観にはちょっと違和感というか、ぶっちゃけ反感を覚えたんだよね で、ネットでもいろいろ批判的な感想を書いたりした。似たようなことを言ってる人もそれなりにいたし、当然それに対して擁護的な反論をするファンも出てきたりで、侃々諤々だった でも振り返ってみると、ああいう賛否両論状態、ああでもないこうでもないという言い合いも含めて、一つの映画体験として楽しかったんだなと思う 細田守は昔から、アニメ映画を作るにあたって公共性を重視しているらしいけど、あれこそが一つの公共性の形だったんじゃないか
スーパーの食品部門で働いてたので、その観点で書く。食品じゃなくて衣料品とかなら話は違ってくるし、スーパーじゃなくて高級食材店でも状況は変わると思う。店が客を値踏みするのは好きではないので、ポジティブなことしか書かない。 いつも来てくれる人が一番ありがたい食品は腐る。なので、売上と廃棄リスクを両天秤にかけて仕入れ量と在庫量や在庫アイテム数を調整している。いつも買い物に来てくれる人というのが、売り上げの変動リスクを平準化する安定要因として働くので一番ありがたい。給料で言えば基本給みたいなもんだ。別に高価なものを買ってくれる必要はなくて、普段使いで一定頻度で買い物をしてくれる人が一番重要。僕がいた店はお客さんの顔を覚えるような店ではなかったけど、イマジナリーな存在としての「いつものお客さん」を大切にしようと思ってた。 クーポンの利用は大歓迎自分が小売で働くまでは、クーポンを使うのに気が引けたりし
細田守はオマージュ元の解釈や読み込みが浅いのではなく、本人の中で何かが欠けていて何度読んでもどうしても芯となる部分を理解ができないからいつもああなっちゃうのではないかと思う ただ、その欠けてしまっているところこそが細田守の作家性であり、更にその欠けた部分を豪華な映像や音楽で埋め合わせようとする行為の空虚さこそが細田守作品で鑑賞すべきポイントなのだと思う
だからその可能性を繰り返し繰り返し宣言しないと、中国の武力行使の可能性を高めるんだよね 中国を刺激したらダメですよ〜って曖昧戦略だけだとダメなのよ ブッシュでもオバマでもトランプでもバイデンでもやり続けたこと 中国の軍事力の伸長とともに、日本の支援が必須になってきてるから日本側も定期的にその姿勢示して、中国側に誤ったシグナル(日本は静観する可能性がある)を送らないようにしないといけない その意味で今回の高市の発言は、平和を希求する俺のような立場からすると割と評価してる 短期的な経済的な悪影響はあるし、そのバランスをどう取るかは難しいけどね
牡蠣フライは美味いけど、どの牡蠣でも近い味になってしまうから味が分かる者の食べ方ではないような気がする。 そういう意味では、牡蠣本来の味を楽しみたければ生牡蠣に塩レモンなんだよなあ。 ただ数個食べると生臭さが鼻に付きだすんだよね。 本場広島とかは蒸し牡蠣なんだろ? 食べたことないが、本場の人たちがそうやって食べてるんだから究極的にはそれが一番美味いのかもしれない。
今日も特にやることがなかったので歩いて小一時間ほどのところにあるショッピングモール内のフードコートに昼食を食べに行った そこには何か特別なメニューがあるわけではなく食べたのは普通のおいしい昼食以上のものではないのだがもう一つの目当てのものがあった 導線から外れて人がほとんど通らない空いた空間にある写真展である 写真は付近の街の歴史を明治時代から令和まで振り返るというテーマで並んでいる 明治時代や大正時代のものは原っぱや果樹園や掘っ建て小屋のような駅舎でほとんどが歴史モノの映画のワンシーンのような雰囲気でとても今の街並と連続しているとは思えないファンタジーの世界のように見えた そして昭和初期まで人力車が走っていたのがわかる 戦後の混乱期は道端や広場に瓦礫や何かの資材のようなものが転がっていて活気がありつつも嵐の後のような荒々しい雰囲気がある 空爆の被害を受けたのかそれとも別の災害や争乱による
生まれたときからスマホがある世代は今は中学生から下くらいか? スマホがどんなふうに人間の心身を壊すのかがこれから判明していくよな 肉体的にはスマホ中毒は、目、手、首、腰を壊しているのだが、今の子どもが30代にでもなる頃はどれくらい壊れてるんだろうな 精神的にはもうとっくに子どものうちから壊れきってしまってるのがちらほら出現しているな ただそれは元からスマホが無かったとしても結局人生のどこかで壊れるような子どもという印象だ そうではなく、「スマホが無ければまともだったのに」という子どもまでもが壊されることがこれから増えていくことに注目したい どんな悲惨な化け物が拝めるのか楽しみだよな
揚げ出し豆腐を美味しく感じる。 最近、15年ほど前に大人気だったけど自分は当時リアタイで見ていなかったテレビドラマを配信サイトで見て、とても感激した。 ドラマロス故かドラマ中に出てきた揚げ出し豆腐が凄い魅力的に思え、コンビニなどにあったら買うようになってしまった。 そして普通に食べたら美味い。 ガキの頃、晩飯で出てきてもそんなにテンションが上がらなかったのに今となってはとても美味い。 大人になるということか、これが。 ガキの頃に食卓で並べられてもうんざりしていたようなメニューが大人になると魅力的に思えるようになってくるのはベタなあるあるというか何というか。 分かってはいたのに「本当だったんだ、あれ」と驚きを隠せない。 精神年齢は未だ幼いのに。 そして今なお苦手で食べられないもの。 これが自分のプロフィールに書けるような、真の“嫌いな物”なんだなとも感じる。
映画『ひゃくえむ。』の感想(自分語り) ※以下ネタバレ含みます。 ロングランと前評判で期待は高かった。チ。にどっぷりハマった者として、映画で魚豊さんの世界を浴びれるのは非常にありがたかった。しかし育児もあり中々映画に足を運ぶタイミングが掴めず、気付いたら地元のシアターでは上映が終わってしまった。県内を調べると、電車で30分の距離のシアターならやっていたので、タイミングを見つけてようやく観に来れた。 見知らぬ土地のため用意周到に早めに来ると1時間前だった。TSUTAYAに寄って本や文具を眺める。ゆっくり本屋を彷徨く時間も少なくなっていた私はその時間さえ愛しいものだったが、やはりここでも台詞回しが最高な魚豊さんによる腰巻が目を引く『スマホ時代の哲学』を手に取っていた。 まだ30分ある。スタバで軽くこの本を読んでから映画を観よう。結局まえがきしか読む時間は無かったが、思えばこの映画の”まえがき”
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