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ブラックフライデー
note.com/katobungen
下記の文章は、私が今年の某月某日に熊本県立熊本高校で1年生向けの講演をしたときの講演原稿に少し手を加えたものです。講演には特にタイトルはありませんでしたので、上のタイトルは後で私が付けました。講演の依頼及び原稿の掲載に同意して頂いた熊本高校の諸先生に感謝致します。 皆さん、こんにちは。今日は「世界の中の日本」という視点から今後の学問のあるべき姿や、そんな中で「頭を使う」とはどういうことかについてお話しするようにご依頼を受けています。これらについて、まずは私自身の経験から始めようと思います。 私は今から30年前、1995年の6月から1ヶ月半ほど、初めて数学の研究のための旅行でヨーロッパを数カ国旅しました。当時私は京大の博士課程の学生で、特にグラントやフェローシップもなかったので、自費で旅行しました。自費だったところが、実はよかったと思っています。いろいろ吸収しようと本気で頑張らざるを得ないで
線形代数学は理系の学生にとっては大学初年度で学ぶ科目であり、専門的な数学の基礎課程のひとつである。しかし、だからといってそれが初等的で平易であるわけではない。実際、この学問はとても深く、その全体像を鳥瞰することは難しい。「線形代数学とは何か」とは、実は大きな問いなのである。「線形代数学を理解する」とはどういうことか、何をどこまで理解できれば線形代数学をわかったことになるのか、といったことすら適切に言語化するのは至難の業だ。私が若い大学教員だったときにすでに古参だったある有名教授の弁にも「線形代数学をちゃんと理解している学生は少ない」というのがあった。このちゃんと●●●●の意味が難しいのだ。 線形代数学をマスターする上で最初の基本は、「行列の計算」ができること、もっと言えば「行列が使いこなせる」ことだ。これはおそらく誰でも同意するし、間違いのないところだろう。そのため、行列の基本、掃き出し法
去る8月27日(日)に、ゲンロンカフェでのイベント『加藤文元×川上量生×東浩紀「数とはなにか─IUT理論と数学の立ち位置」 を頂きました。次の日から読み始めましたが、大変面白く含蓄の深い本だと即座に悟りました。 私は普段から本を読むスピードが遅く、しかも読んだ片っ端から忘れてしまう傾向があるので、できるだけメモをとりながら読むようにしています。しかし、この本は非常に読みやすくスイスイ読めてしまうのには驚きました。 とはいえ、スイスイ読んでしまって、あまりその内容について咀嚼できないまま読み終えてしまうことを避けるために、できるだけ速読にならないように心がけて、いつもより多めにメモをとりながら読み進めました。 「新しくないのに新しい」という感覚こういう言い方をすると、もしかしたら誤解を受けるかもしれませんが、おそらくこの本の論旨は、少なくとも表面的には、新しくないのだと思います。そして、その
2023年8月27日のイベント「ZEN大学×ゲンロン・数とはなにか」では、東浩紀さん、川上量生さんと私の3人で、数学や数学周りの哲学的な話題などについて対談しました。 5時間半にも及ぶ長丁場でしたが、私としては時間の過ぎるのも忘れてしまうような、楽しい時間でした。 その中で私が「数学は空間のモデル化をしたことはいくらでもあるが、時間をモデリングしたことはついぞなかった」というような趣旨の発言をしました。この発言の背景には、 今ある数学よりももっと時間にコミットした数学の姿もあり得たこと。 古代ギリシャの論証数学が主に当時の言説世界の影響から、数学を時間から離脱させて静態化するという作戦をとったことが、その後の数学のあり方に大きく影響したと思われること。 という(少々素朴な)私見がありました。 これに対する東さんのコメントは、非常に意外なもので「アルゴリズムには時間的要素があるのでは」という
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