
鎌倉時代の説話集「宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)」には、ある学者に出題されたという漢字クイズの話が出てきます。これがめちゃくちゃ難問なのです。
その学者とは、平安時代前期に生きた小野篁(おののたかむら)。漢学者や歌人として活躍。反骨精神が強かったことでも知られ、「改訂新版 世界大百科事典」によると、遣唐使に選ばれたものの出航を拒否し、隠岐に流刑にされたこともあったそうです。
「宇治拾遺物語」では、そんな小野篁が超難問にあっという間に解答する才気溢れるエピソードが四九話「小野篁が才人だった話」として、以下のように紹介されています。
天皇の難題にさらさらと解答!小野篁のエピソードとは?

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皇居に嵯峨天皇を批判する「無悪善」と書かれた札が何者かによって掲げられていた。天皇本人に、札の読み方を聞かれた篁は「さが(嵯峨)なくてよからん」と、すらすら答えたところ、「お前が書いたのでは?」と天皇に疑われた。
「私は何でも読めるのです」と釈明する篁に、天皇は「子」の漢字を十二個書いて「読め」と命令。すると、篁は「ねこの子は子ねこ、ししの子は子じし」と読んだところ、天皇は微笑み、篁はお咎めなしとなった。
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「子」は「ね」「こ」「し」など様々な読み方があるため、うまくつじつまを合わせたというお話。実際にあった出来事かは不明ですが、頭の回転が速くて才気煥発な人柄が伝わってくるエピソードですね。
数々の伝説に彩られた小野篁の生涯。読売新聞によると「昼間は朝廷で官吏をしながら、夜は冥府で閻魔大王の裁判を補佐していた」という伝説も伝えられているそうです。
参考文献:
『宇治拾遺物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 』(角川ソフィア文庫)