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いい本に出会ったので紹介したくなりました。紹介します。 なぜ人は締め切りを守れないのか 作者:難波優輝堀之内出版Amazon この本は「人はなぜ締め切りを守れないのか」という疑問から出発して、人間にとって時間とはどういうものなのか、ひいては「いい時間」「悪い時間」とはどういうものなのか等を論じている本だ。締め切りをひとつのキーワードとして、古今の哲学者や思想家のお話を引用し、はるか昔からの人間の時間観念を振り返り、時間に追われる現代人のありようを紐解いていく(そうしたうえで著者自身の展望も記される)。こう書くと重たそうな本に思えるかもしれないが、この本は内容に比してかなり軽やかだ。 本書には良い点がたくさんある。 ひとつは、時間について“哲学する本”なのに難読ではない点だ。 哲学と銘打った本、哲学に明るい人が書いた本は読みにくいことが多い。少なくとも20世紀までに書かれた哲学系の書籍は、ど
orangestar2.hatenadiary.com こんばんは、小島アジコさん。シロクマです。 次々にブログサービスがなくなり、綺羅星のようだったウェブサイトまで消えていくのは悲しいものですね。 リンク先でアジコさんが書いてらっしゃるように、 (株)はてな がネットメディアの金剛組のようになって、数百年後もブログサービスを保守してくれたらすごくいいなと私も思います。とはいえ、(株)はてな も営利企業のひとつではあるので、依存してばかりってわけにもいきません。 私は広告を消すためにはてなブログに課金をしています。インターネットに広告が溢れてしまっていること、単に広告があるのでなく、00年代などと比較しても苛烈な広告にさらされていることもインターネットという場の変質に関わっていることでしょう。ただし、広告を消してもプロパガンダは消えません。そしてインターネットはプロパガンダの場、動員の場で
www.nikkei.com news.yahoo.co.jp クマ害に悩む秋田県で、とうとう自衛隊要請が出た。 上の記事によれば、自衛隊による駆除自体は法的権限からみてできないと認識したうえで、自衛隊にしかできない仕事を要請するという。下の記事によれば、防衛省は派遣の方向で考えていると。 地方都市に住んでいる私にとって、秋田県の報道は他人事ではないから動向は気になっていた。ただし、今年の秋田県の報道を眺めているとスケール感が違うというか、東北地方のクマの出没頻度と被害が桁違い過ぎて驚くしかない。 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書) 作者:田中淳夫イースト・プレスAmazon ところが、田中淳夫『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』によれば、本来、江戸期から日本列島では獣害があるのが当たり前で、19~20世紀にかけて獣害が少なかったほうが特別なのだという。 ……時
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) 作者:東浩紀講談社Amazon 最近私は「近代社会ってなんだろう?」ってことに関心があって、近代社会とその続きについて書いてある本を再読してまわっている。ゆうべは東浩紀『動物化するポストモダン』を数年ぶりに読んだ。ただ懐かしいだけじゃない。読むたびに発見があって「こんなことを著者は書いていたのか!」と驚いた。それからインスピレーション。自宅の本棚のいちばんいい場所には、読むたびにインスピレーションが刺激される本を並べておきたいよね。 昨日の私は「動物化したオタクって、どのあたりのオタクまでで、どこからのオタクは元々動物だったんだろうか?」ってことを読みながら考え続けていた。 『動物化するポストモダン』でいうところの「動物」とは、コジェーヴという哲学者の言っていた「動物」のことらしいが、私はこのコジェーヴという人自身の本を読
日の出が遅くなってきたのに、朝、早くに目が覚めてしまう。昔は早起きが苦手だったはずなのに、午前6時、なんなら午前5時半には起きだしてジョギングしたり、『艦これ』のデイリー任務をこなしたりするようになった。 早朝には、人の気持ちを引き締める効果があると思う。 ひんやりとした、人気の少ない路地の空気を思いっきり吸う。薄暗い10月の朝でも花々は一生懸命に咲いていて、草むらからは秋の虫の声が聞こえる。紅葉は始まっていないが、路上の落ち葉や広葉樹の葉がいくらか黄色くなりはじめた。毎年あれを見るたび「人間の白髪みたいだな」、などと思う。 そういう涼気をたっぷり吸い込んでから仕事に向かうと、始業時間からフル稼働できるように整う。10~20年前なら眠たさを引きずっていたはずの午前8時も、今は苦ににならない。一日のタスクに素早く取り掛かれるのは幸先良いことだ。できることが増えるし心にも余裕が生まれる。昼食と
2025年10月17日をもって、このブログ『シロクマの屑籠』は20周年を迎えました。 私が20年間ブログを続けられたのは、第一に、このブログを読んでくださる方々、特にはてなダイアリー・はてなブログ・はてなブックマークをとおして繋がり合ってきた知己の皆さんと常連読者さんのおかげです。長きにわたってご一緒してくださった常連読者の皆様、ありがたいトラックバックやリンクを送ってくださる方々、暖かい言葉をかけてくださったり、貴重なご教唆をわけてくださったりする方々に、深く御礼申し上げます。 しかし振り返って、20年という歳月は短くはありません。 この間にブログブームは沈静化し、Youtube、ニコニコ動画、そしてSNSが代わって栄えていきました。歳月は、私と私をとりまく環境を変えてしまい、ネットコミュニケーションの趨勢まで変えてしまいました。20年前と同じインターネットを『シロクマの屑籠』でやっての
こんな文章は20代の人がnoteにまとめて胸を張るべきもので、私が書いてどうすんの? な感じだけど、有料記事パートの枕としてまとめておきたくなったので簡単に書く。 世の中には、自分と同じ場所に集まり、同じことをやっているようにみえる人がたくさんいる。でも、その人がやっていることの意味、やらざるを得ない理由や背景は自分と同じとは限らない。この「やっている意味ややらざるを得ない理由や背景は自分と同じとは限らない」が把握できているかできていないかは、ときにコミュニケーションの成否をひっくり返したり、会議などの帰趨を左右したりすることがある。 たとえばある職場、ある職種において、あと1年で退職が決まっている人と、最近家を建ててローンを支払い始めたばかりの人と、仕事はひととおりできているが身を固めるようなことは未だしていない人では、同じ仕事をしていても、その仕事のバックグラウンドにある動因はかなり違
日本人男性は安全・安心を想像できる身なりと行動ができてなければ不審の目でみられる……ということが実際あったし今でもあると思うんですが、だとしたら、それと同じ目線と論理が素性の想像しがたい外国人男性に向けられるのはスムーズな流れだと思われます。是非はさておいて。 https://t.co/ool9m6xRz5— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2025年10月3日 「不審者注意!」という看板を見るたび、「やめてくれ、その術はオレに効く」みたいに思う。 ある時期まで、私はそうしたことを意識することなく日本社会で暮らし続けていた。けれども40代後半に入って、いい加減な恰好で住宅街を歩いていると不審の目で見られること、警戒されていることに気付くようになり、中年男性は身なりや恰好、振る舞いに気を付けなければ不審者とみられることを知った。そこから更に、もっと若い男
はあ、「秋の日はつるべ落とし」とはよく言ったもので、最近、日没がどんどん早くなっていきますね。 しかし「一日がどんどん短くなっていく」のは秋の日だけではないのでした。「50代に突入した私の一日も、随分と短くなったなぁ」と毎日のように悲しんでいます。 私がインターネットに夢中になりはじめた頃、インターネットといえば24時を過ぎてからが本番でした。テレホーダイ時間の名残りで23時過ぎぐらいにアクセスしてくる人が多かったし、夜になるとテンションがあがってきて、日付をまたいでからが本番、といった趣がありました。それで夜ふかしをし、翌朝はぐったりした顔をしていたわけですが、24時間のうち18時間ぐらい、いや控えめに言っても17時間ぐらいは動き回っていたのでした。 それが今では19時には眠くなってくるのです。19時って言ったらNHKの「7時のニュース」の時間ですよ? そんな時間に自分の意識に帳が降りて
goldhead.hatenablog.com 1. こんにちは、黄金頭さん。シロクマです。ご論、楽しく拝見しました。ブログが趣味である私にとって、こうしてお手紙をいただけるのはブロガー冥利に尽きる瞬間です。 さて、黄金頭さんはブログエントリのタイトルを「なにが悲しくて趣味でまで他人とかかわらなければいけないのか?」としました。たとえばカラオケ、例えばオンラインゲームをなさらない黄金頭さんはコミュニケーションが嫌い、人が嫌いだとおっしゃいます。 しかし黄金頭さん。 https://t.co/A7zIS8kOFE— 黄金頭 (@goldhead) 2025年9月19日 黄金頭さんは、くだんのブログエントリをお書きになったその日のうちに、Xにてスペースを利用して、『チェーンソーマン』についておしゃべりしているのです。 ええっ? コミュニケーションが嫌い? 人が嫌い? タイムスタンプによれば、こ
blueskyで、「愛好家やオタクの人生にとって人嫌い・コミュニケーション嫌いがプラスになるかマイナスになるか」についてしゃべっているのを見かけた。それから色々あってブログにまとめる羽目になったのでまとめます。 はじめに、このお題じたいが愛好家全員に当てはまるわけではないことを断っておきます。オタクや愛好家の全員に当てはまるとし、断定を繰り返したほうがページビューが伸びるのは私も知っています。ある意見に賛同したい人と正反対の人の両方から熱いページビューを稼ぐには、断定が一番ですね! 白か黒か。灰色なんて許さないぜ。そのほうが、みんなうれしいでしょ? 本当は、誰が何を言っているのかなんてどうでも良くて、「お題」が存在することが大切なのです。擦れてしまった人々にとって、SNSなどに存在するあらゆる記事やpostの存在意義とはそういうものではないでしょうか。 こんな前書き要らないか。 でも、エチ
氷河期世代力:変化の時代を生きた私たちが、今だからできること 作者:吉野 かぁこ花伝社Amazon 来週の9月22日に発売される、吉野かぁこ『氷河期世代力』という本に私のインタビュー記事が掲載されていますのでご報告します。この文章の無料パートはそれに直接関連した内容です*1。 ま、氷河期世代の生き残りと言っても色んな人生があり、色んな考えがあるでしょう。 本書に登場する氷河期世代の人生は千差万別で、同じ時代を生きているのにこんなに観てる風景が違うんだぁ……とまず驚きました。生き抜いてきた来歴もさまざま。価値観もけっこう違っています。ただ、タイトルにあるように、このインタビューに集まっている氷河期世代がなにかしら「持っている」者である点は否定できないなぁとも思いました。強力なバイタリティや才能を持っていた者、文化資本と有益なハビトゥスを継承してきた者、運にも恵まれた者、学歴を獲得した者、等々
昨日の続き。アイデンティティをカネで買って何が悪い? という話です。 アイデンティティの話をすると、ときどき「アイデンティティをカネで買うのは悪いことだ(卑しいことだ)」といったコメントをいただくことがある。 アイデンティティは、人間の心理的欲求の対象と社会関係や社会活動を結びつけて理解するのに適した概念モデルだから、臓器のように手で触れられるわけではない。けれども人間の欲望と心理的安定性について社会と関連付けて考える際には有用なモデルだと思う。人は、アイデンティティに相当する対象を必要としていて、アイデンティティに相当する対象をとおして「私」の自己イメージをかたちづくっている。 ただし、アイデンティティを必要としているからといって必ず意識されるとは限らないし、まして、必ず商品選択や消費活動をとおして購買しなければならないわけでもない。昔は、アイデンティティをカネで買うのはそんなに多くない
昨日、Xでアイデンティティと消費個人主義についてしゃべった内容をまとめることにしました。 1.アイデンティティが消費活動として、商品として贖われる時代があった 20世紀の後半から21世紀の初頭にかけ、日本では個人が「私はこういう人間だ」「これって私!」と思える宛先として、もっと言えばアイデンティティの宛先として、商品の選択や消費活動が今よりも重要で、旺盛な一時代があった。『なんとなく、クリスタル』に登場するクリスタル族、好きな趣味ジャンルに耽溺するオタク、商品選択能力の優越性を他人に見せつける新人類たちはその先駆けだったと言える。そうした消費個人主義は90年代には大衆化し、地方都市の学生までもが海外ブランド品のバッグを持ち歩く風景を生み出すに至った。 でも、商品選択や消費活動がアイデンティティの宛先としてはじめから重視されていたわけではない。クリスタル族らが登場した頃には「シラケ世代」とい
anond.hatelabo.jp はてな匿名ダイアリーのタイトルは「感情的にならないと感情が伝わらない」だが、この文章のタイトルは「感情を添えたほうが、伝えたい情報はよく伝わる」だ。このニュアンスの違いを意識しながら以下を読んでいただけたらと思う。 感情はホモ・サピエンスが言語を使いこなすより前から使いこなしていた情報チャンネルで、ホモ・サピエンス誕生以前からコミュニケーションに用いてきたと考えられる。感情のバックグラウンドには、哺乳類の行動制御系として共通のメカニズムであるHPA系(hypothalamic-pituitary-adrenal axis、HPA軸とも)がある。ホモ・サピエンスにおいては感情表出と感情を読み取る能力は高度に発展していて、私たちは顔面表情筋のような、感情表出のためのツールまで備えている。 昨今の情報化社会では、文章化された情報のウエイトが大きくなるばかりだ。
はてなブックマークが20周年を迎えたそうだ。 ユーザーの一人としてずっとお世話になってきたから、感謝しかないし、20周年おめでとうございます! としか言えない。いいことばかりではなかったし、はてなブックマークにはわからず屋もいる。それでも、たくさんの人とはてなブックマークをとおして知り合い、頂戴したコメントに助けられてきた。今回の「わたしのはてなブックマーク」キャンペーンに乗じて、ちょっと思い出話をしてみたい。 はてなブックマークが私にくれたもの 私ははてなブックマークからメチャクチャたくさんのものをいただいた。この20年間に集まった被ブックマーク数は、この『シロクマの屑籠』だけでも約19万、外部サイトなども含めれば20万件ほどになる。PVやアクセス数が増えたのは言うまでもない。でも、私がいただいたものはPVやアクセス数だけでは説明できないものだったと思う。 20年前の段階では、私ははてな
週末に、はてな匿名ダイアリーに「要するにエコチェンバーこそが現実になってしまったんやな」というフレーズが書きこまれて、はてなブックマークが集まった。 ちなみに、このフレーズは「日本人ファースト勢に見えている世界」というはてな匿名ダイアリーの文章についたもので、その文章はさらに遡ってtopisyuさんの文章をリファレンスして書かれたものだったりする。 これらのどちらかが正しい/間違っているとは私は考えない。topisyuさんはファクトを検証できるような報道をすべきと言っているし、はてな匿名ダイアリーの長文は報道をとおしてファクトを検証しなくなった人の出現を指摘している。どちらも現代社会の一隅を照らしているのは間違いない。ただ、論旨の重心はそれぞれ異なるので、二項対立的に読むよりも、違った論旨のものとして読むのが好ましいように私は思った。 ところで、冒頭のフレーズについたはてなブックマークを眺
ここ数日、ChatGPTの4oについての話題がインターネットにこだましている。Xには「keep4o」というハッシュタグまで登場し、4oがなくなったことを嘆く声があると同時に、旧モデルに執着する人々を冷笑する声もあった。 私自身は、どちらの気持ちもわかる気がした。 ツールとしてのAIには最新型であって欲しいし、4oの「おべっか」じみた言い回しを鬱陶しく感じることもあった。その反面、あの鬱陶しい言い回しのおかげで救われたと感じた場面、むしろエンパワーされたと感じた場面もあった。 4oの「おべっか」はどこまで不要な機能だったのか AIにイラストを描かせたりファイルを処理させたりしている時、「おべっか」は不要だ。道具としてAIを見る際には、必要な情報をできるだけ簡潔にアウトプットしてくれればそれでいい。 けれども、もっとどうでも良い用途のためにAIに「話しかける」場合──たとえば子どもの宿題の解法
blog.tinect.jp リンク先で、筆者の安達さんは大事なことを言っているように思えたけれども、はてなブックマークではあまり評価されていない様子だった。 「浅い話と思われたくないなら・実際にこなれた話ができるようになるためには、誰かのコピペをリピートしているだけでは良くない。」それは本当だと思う。ネットの受け売り、本や雑誌の受け売りコピペは付け焼き刃と思われやすい。どれだけトリビアルな知識をトリビアルに集めても、それはトリビアルなものでしかなく、浅薄な知識でしかないと見抜かれてしまう。そして、トリビアルな人という評価に終わってしまうだろう。 安達さんは、 だから、社会で「値踏み」をされても良いようにしておくには 「ちゃんとした洞察を得るように、様々な事象について、普段から時間をとって考えておく」 以外の道はない。 と書いている。 本当にそうだと思う。知識を暗記することと、それについて
anond.hatelabo.jp はてな匿名ダイアリーで、「精神疾患治すのに、栄養が大事だよと伝えても伝わらないのはなんでですか?」という短文が記されていた。以下がその内容だ。 精神疾患治すのに、栄養が大事だよと伝えても、伝わらないのは何でですか? 食事内容が目茶苦茶で元気になれるわけないのに。。。 辛くて余裕がないと言うけど。。 辛くない日もあるよね? そういう日を使って考えるのはどうなの? しかし、精神疾患の治療に際して、「栄養が大事」と伝えても患者さんに伝わらないか、伝わらなかったようにみえる況はいろいろ思いつく。 「栄養が大事だよ」というコメントが伝わったっぽい場合もあるかも はじめに、精神疾患の患者さんに「栄養が大事だよ」というコメントが伝わる場合を想定してみたい。 精神疾患にも色々あるが、最近は診断基準が緩くなった精神疾患もあるため、比較的軽症例の患者さんの場合、そうしたコメ
だんだん「何者かになりたい」という現代の願望が、作家や配信者など職業への憧れのみでなく、「自分とはこういった個性と感性を持っている人物だ」と周知されるほど確固たるキャラクター性を有したいことであると分かってきた。— nyalra (@nyalra) 2025年7月22日 にゃるらさんがXで気になるポストをしてらっしゃった。 曰く、 「何者かになりたい」という現代の願望が、作家や配信者など職業への憧れのみでなく、「自分とはこういう個性と感性を持っている人物だ」と周知されるほど確固たるキャラクター性を有したいことであるとだんだんわかってきた という。 にゃるらさんは、私よりも二回りほど若い世代で、活動領域からいって、私の知らない景色を見てらっしゃる人だ。だから、「何者かになりたい」という言葉に、上掲のような願望が重なる様子を実際にご覧になっていると信じてしまうことにする。 それはそうとして、こ
yoshikimanga.hatenablog.com よしきさん(id:tyoshiki さん)こんにちは、シロクマです。私がbooks&appsさんに寄稿した文章に言及してくださり、ありがとうございます。こういうブログフォーマットの文章同士を連鎖させるようなやりとり、最近は経験できないので嬉しかったです。私の文章の大枠は読み取っていただけたと感謝しています。よしきさんが私が書いた範囲を絞っているとお気づきになったのは、第一にブロガーだからだと思います。 ちなみに、私がbooks&appsさんにお届けした時点では、その文章の仮タイトルは「参政党に投票した人を馬鹿にする人々」でした。これにbooks&apps編集部さんが正規のタイトルをつけてくださった格好です。 よしきさんへの私信として書いていきます 自分の書いたブログ記事や寄稿記事に、書いた当人が解説をするのは恰好の良くないもの。ですが
いきなり暑くなってきた。こういう週末はシャンパンに限る。でもシャンパンは激しく値上がりしたので格下のスパークリングワインで済ませたい日も多い。でもシャンパン飲みたいよねシャンパン。だってシャンパンだからさー。 しかし何やろうな、カヴァとシャンパンと風味が違うのはわかるが何がどうなのかうまく言語化できなくてもどかしいな。ブドウか?酵母か?— petrovich (@petro_vich) 2025年7月13日 忙しすぎて何もできなかった7月13日に上掲ポストを見かけた。シャンパンとカヴァ*1は何が違うのか? 文章にしてみるとたぶんこうなる:シャンパンはフランスのシャンパーニュ地方、比較的冷涼な気候でミネラル感の備わりやすい土壌のぶどう畑でつくられている。ぶどう品種はシャルドネに加えて、ピノ・ノワールやピノ・ムニエといったピノ系ぶどう品種。対してカヴァはスペインのバルセロナ周辺で主につくられる
参議院選挙が近くなり、インターネットに選挙のにおいが充満している。そういう雰囲気に感化されたくないと思い、期日前投票を済ませることにした。例年以上にインターネットじゅうが選挙めいていて、政治めいていて、プロパガンダめいているからだ。 普段はアニメやゲームの話ばかりしている人々まで、選挙や政治の話をしている。今日ではアニメやゲームとて政治の標的、選挙の論点なわけだから、そうした人々が話題を変えるのはおかしなことではない。 そうでなくても誰にだって生活があり、その生活を政治が左右する。食い扶持だって左右するだろう。選挙直前にSNS等で政治の話が増えるのはデモクラシーのありかたとして自然だ。 ただ、10年ほど前のインターネットでは、選挙前でもここまで政治の話は目立っていなかったように思う。この10年間に、SNSなどで政治や候補者について言及する人の割合と頻度は着実に増えた。そうしたひとつひとつの
2025年も半分が過ぎた。この半年間は、とにかく色々なところでおしゃべりやプレゼンテーションをした。そういうことには幾らか慣れたのは良かったが、長い目で見れば「もっと勉強をしなければ」という思いが膨らんだ半年だったと思う。 この文章は、この2025年の4~6月に読んだ本、読もうとしている本についてダラダラ書いたものだ。半分ぐらい公開し、半分ぐらいを課金エリアに安置しておきたい。 【豆の歴史】 豆の歴史 (「食」の図書館) 作者:モリス,ナタリー・レイチェル原書房Amazon 前々から、ホモ・サピエンスの農業についての話のなかで豆の重要性がどうなのか、もっと突っ込んだ内容を読んでみたいと思っていた。で、たまたまこの本とご縁があって読むことに。ところが記述内容は人文社会科学系に寄っている感じで、生物学系については論拠が少し古い感じがした。豆とホモ・サピエンスというテーマで考える際には、ちょっと
1990年代〜2005年辺りの秋葉原やコミケを闊歩していたキモオタやデブオタも、その後はどこでどうしているのかが完全に不明で、不可視化されてしまっているんだよな…。 ネットの世界にも見当たらないし…。— hamusuke㌠ (@tomonasisan) 2025年6月30日 ドラマ『電車男』に登場したような、かつてのオタクの典型像に相当するオタクたちはどこへ行ってしまったのか? これについて、私がこの30年ほど観察を続けてきた結果についてしゃべってみる。 そもそも、当時のような服を買って着るのが一苦労 本題に入る前に、かつてのオタクの典型的服装を再現する難しさについて書いてみたい。 当時のオタクの典型的服装としてイメージされるのは、よれたTシャツ、見栄えのしないチェック柄のシャツ、安物のジーンズ、などだったように思われる。TVドラマ『電車男』に登場するオタクたちは当時を非常によく再現してい
2024年に続いて、今年も松本市でおしゃべりをすることとなりました。今回のお題は「ネット社会は人間の精神にどう影響する? ~スマホ、ゲーム、SNS、AI、etc~」となっています。 日時:2024年7月6日(日) 14:00-16:30(開場13:30) 松本市中央公民館 一般500円 (※信州自遊塾会員・大学生以下は無料) 長野県、特に中信地方の方で、加速する情報技術やAIといったものの未来についてご関心がある方がいらっしゃったら、来場いただけたら嬉しいです。なお、今回は第二部で芥川賞作家の伊藤たかみさんとフリーディスカッションがあります。伊藤たかみさんは1971年生まれ、私よりもちょっと年上の世代にあたります。私が1975年生まれですから4年の違いですが、インターネットの黎明期~普及期において、この差は小さくないと私は想像しています。世代の違い、活動領域の違い、大学生時代に経験したこと
『機動戦士ガンダムジークアクス』最終話を夜中に起きて視聴した。いつものように早朝に見るつもりが午前1時半に目が覚めてしまい、ええいままよと視聴したら、いろんな気持ちが渦巻いて結局明け方まで眠れなかった。最終回にふさわしい、一段と眠たい水曜日になってしまった。私は『ジークアクス』を「今まででいちばん眠たいガンダム」として記憶するだろう。 ストーリーの展開として私がいちばん期待していたのは、マチュとニャアンの物語が描かれることだったから、結末は満足がいく感じだった。内田弘樹さんが、 エンディングのマチュとニャアンの家にララァの娼婦時代の服があるので(一緒に楽しくダンスしてる)、少なくともララァはマチュと連絡を取り合っているし、その後幸せになったことも知ってる、みたいな感じだと僕はいいなと思います。— 内田弘樹@5/27コミック新刊発売「ゼロ戦エース、異世界で最強の竜騎士になる!2」 (@uch
ゆうべ、ふと星座が観たくなって空を見上げた。垂れ込めた雨雲に邪魔されてほとんど見えなかったけれども、一瞬、雲の合間に星がまたたいたのは印象深かった。 それにあてられて、『ぼっち・ざ・ろっく!』の「星座になれたら」という曲、それからインターネットで星座だった自分たちについて思い出した。 星座になれたら 結束バンドアニメ¥255provided courtesy of iTunes ボーカルの喜多郁代は「君と集まって星座になれたら」と歌う。星座を織りなす星々はずっと同じ場所にいるようで、実はそれぞれバラバラに動いている。天文学的な時間軸でみれば星座をなしているのは一瞬でしかない。それと同じように、ひとつのバンド・ひとつのコミュニティ・ひとつの集まりも、それぞれバラバラに動いている人間が、たまさか、同じ場所で巡り合って同じことをしているに過ぎない。バンドやコミュニティや集まりを星座にたとえる時、
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